秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

内輪だけのお祭り

このところ、東京オリンピックにまつわるドラマがいくつかオンエアされている。フジらしからぬ、といったら失礼だが、昨日、1964年の東京オリンピック前後に起きた、凶悪事件を描いた特番再現ドラマもやっていた。
 
いま、東京オリンピックをリアルで体験した世代、もしくは記憶として残している世代は、現在の55歳以上。55歳でもギリギリといったところだろう。

確かに、アジアで最初に、しかも、第二次世界大戦、太平洋戦争の敗戦国で開催されたオリンピックは、それ自体、歴史に残る偉業だ。

また、国内にあっては、オリンピックの開催とその中で多くのメダルを獲得したことは、敗戦後、国際社会にも参加できず、占領下の中で、徹底的に自信を喪失していた日本人を鼓舞し、失った自信を回復するターニングポイントになった。

東京タワー、新幹線、高速道路網…。戦後の焼け跡で、満足な食糧もない中、わずか20年程度で、日本人はそれを実現した。まだ、スポーツによって政治も紛争も越えられるという「オリンピック神話」が成立し、信じられた時代…。

先の戦争への反省と世界で唯一、戦争を放棄した平和憲法を持つ国は、アメリカの軍事・外交の傘下だったとはいえ、それを強く世界にアピールすることで、新しい国として世界に認められた。
 
だが、同時に、すでにそのときから、経済優先社会、市場原理主義社会の格差社会が出現し、社会の構造は歪さへ向けて進行していた。
 
持つものと持たざるもの。国民の大半が中流を意識する社会の中で、その枠組みからはずされたいった人々、そのラインの向こうへはどうして入れない人たちがいた。

貧しさや学歴の低さやそれゆえの金銭への執着が、犯罪の動機になる時代だったのだ。社会からはじかれていることへの復讐のように、なんの躊躇もなく、人を殺せる人間が生まれていた。

昭和を良き時代、なつかしき時代として振り返る人たちがいる。
 
確かに、いまのようなデジタル社会でなかった分、アナログの手ざわり、質感は人の心をいやす。同時に、その質感を大切にする精神は、モノを大切にし、職人の手間暇や農家や漁師の苦労に敬意と尊敬を払えた。
 
そうした手間暇を必要とする社会は人との距離が近い分、面倒なことが多い。だが、面倒な分、人とのつながりも深かったのだ。
それをなつかしむのはいい。だが、そのアナログの手触りの中で、人とのつながりの濃密さの中で、経済の繁栄や社会の光の当たらない場所で、置き去りにされていく人の心が、たくさんの見向きもされない不幸によって、犯罪を生んだのも事実だ。

同じ方向を向き、みなが同じことを考えているようにみえながら、それが取り残される人々をさらに置き去りにする。
 
かつての戦争や空襲で受けた心の傷をひきずり、その後も経済苦や生活苦にひきずられ、あるいは、家族や親族を失った縁の薄さは人々を容赦なく、孤独にする。

いま次のオリンピックを国民の総意のようにいう人がいる。だが、果たしてそうなのだろうか。かつての東京オリンピックのときとは、人々がかかえている内面の傷が違いすぎる。それは、逆に、あの時代より以上に、陽が当たらない人たちを一層、陽の当らない場所へ追いやるような気がしている。

まだまだ、人が目を向けなければいけない現実、関与しなくてはいけない人々がこの国も、世界にもいる。オリンピック、本来の精神からいえば、そうしたところに陽のあたるオリンピックでなくては、ただの持てるものと、持てるかもしれないものの、内輪だけのお祭りでしかない。