秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

届けもの

人の救いや希望の灯といったものは、じつは大仰なものにあるのではない。

ちょっとした人の親切や何気ない、思いやりのある言葉…。希望や明日への期待が薄れていると、そうしたものがずしんと胸に響くことがある。
 
映画のモチーフなどでよく使われ、私も、よく心のくたびれた人には薦めるが、甘いもの。チョコレートやケーキ。あるいは、ほっとさせるおいしい紅茶や珈琲…。おいしいご飯もそうかもしれない。
 
そんなもので、失っていた元気を取り戻せたり、気づかされたりするものだ。

じつはこれは医学的にもいわれていて、糖分は心を落ち着かせたり、不安を鎮静させる効果がある。脳に作用する。

ストレス太りというのは、逆に、不安定な精神状態から解放されるために、こうした糖分、カロリーを多量に摂取してしまうから起きる。

人への親切や思いやりも、過分になると人のためならずということもあれば、情に掉させば流されるということにもなる。

それだけならいいが、場合によって疎ましく思われてしまうこともあるだろう。親切心というのは、嫌な顔はされないが、押し付けや蔑視ととられることだってあるのだ。

自分の物差しで、これが希望だ、これが明日への期待だとやるとそうしたちぐはぐを引き起こす。
 
つまり、大仰なことにしてしまうからそうなる。
 
ささやかなことを思いを込めて、丁寧にやる。それがたとえ、どのように大きな規模につながることであっても、それを忘れては、大仰になり、結局、希望や明日への期待につながってはいかない。

ささやかなとは、日常に根差したものでないといけないということだ。日常に根差したもの、自分たちの現実につながったことでなければ、そこには希望や期待は描けない。
 
どんなに大きな夢や構想を見せられても、結局はただ大仰なだけで、人の心には届いていかない。

届く言葉も届く思いもそんなところにしかない。