秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

少女たちの明日

今夜のNHKクローズアップ現代で、女子高校生のお散歩サービスにまつわる売買春の問題を取りあげていた。

最近、何につけ、踏み込みの足りないNHKだが、ここでも、どうしてこんなことをするの!? という、ありがちな道徳感、倫理観を前提とした疑問から出発しているため、子どもたちの深層や商品化された少女の性に群がるアホオヤジやアホ男の心情にあるものの分析に深く辿りついていない。

もっといえば、アキバから量産される、AKB的、ゲームソフト、フィギア、コミック的少女に代表されるように、少女の性の商品化によって利益をえている、テレビや秋元康に代表される少女マーケットをシステム化している輩の糾弾もできていない。

収録時間は別にして、平然と少女たちが深夜帯のバラエティに登場したり、扇情的な写真集やPVをつくり、これが普通にテレビで流され、ネットや店頭で簡単に手に入る国は、日本くらいなものだ。

それほどに、この国は少女の性の商品化に寛容で、これは決していまに始まったことではない。

安倍某が閣僚に女性5人を起用したからといって、男性中心の社会構造や政治システムは変わるわけもなく、この男性社会の歪さの中で、じつは、少女の性を買春する男たちも再生産され続けている。

女性へのDVでもそうだが、母的なる寛容を求めて女性を探しても、そんな女性はいやしない。結果、なんでも許してくる母の代償行為として、女性へのDVが当然となる。

 
基本は、女性とのコミュニケーション能力、他者との関係性の構築能力が欠落しているからだ。

だから、コミュニケーション弱者であるアキバ系やこれに類する男たちは、DVという形ではなく、まだ自己主張の力が弱く、かつ抵抗力がない少女が支配しやすい。
 
そして、ときに、支配を楽しむために、少女に、疑似抵抗のビンタを張ってもらい、かつ、金で自由に支配できる快感の証として、「子ども」を性的対象としていく。

しかし、これも単に男社会の歪さがつくった「男の悪」として片付けて、糾弾すれば回復への道が見えるほど浅薄なものではない。

男がそのようなストレス禍やコミュニケーション不全に陥るのは、男自身が社会に参加しているようで、じつはきちんとした社会参加、社会的コミュニケーションの枠にいないからだ。いたとしても、その安心の中に存在している実感が得られていないからだ。
 
一方で、少女たちも家庭環境や親子関係、夫婦関係、あるいは、いま広がっている生活不安、場合によって貧困を要因とした家庭内不和といったものによって疎外されている。

当然ながら、家庭の重さの中で他者とのかかわりのトレーニングがされないまま、学校の中でもコニュにケーション弱者として生きている例は少なくない。

そこには、偏差値による選別で、いまの学校にいっていても、未来がないと感じ、かつ、その未来のない学校においても存在価値が与えられない自分はより価値がないと創造的な明日への期待からはじかれている。

社会不安や生活不安、将来不安といった不安要因は、人々から社会の決まりやルール、もっといえば、いまある日常の価値を見失わせる。

 
そこに、一時の陶酔として、あるいは日々の逃避として、アキバ的なるものへの嗜好性が強くなる。そのとき、必ずといっていい。付け入ってくるのは、薬物と性だ。欲しがる者とその代償として金を得るもの。

そこに、つまらない男女平等社会の理想や大人自身守ってもいない社会道徳や倫理をいっても何の役にも立たない。

 
政治や社会のあり方そのものを根本から変更しない限り、それは再生産、もしくは量産を繰り返す。法や規律で凌げのは一瞬のことだ。

それほどに私たちが生きる社会は、あるべき社会の枠組みを溶解させ、人々にとって幻想でしかないという失望を抱かせていることを、政治も、教育も、大人たちも、自覚するところかしか道はみえてこない。

それは少女たちだけの明日を考えることではない。私たちの国の明日を考えることだ。