秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

キーワードは海の町

理念のない行動は方向性をたがえる。主張のない行動は、易きに流れる。ビジョンのない行動は形を生まない。

とはいえ、手前勝手な理念や身勝手な主張、また、狭窄した視野や感情にだけ流された心情だけのビジョンは、理念とも主張ともビジョンともいえるものではない。

いいかえれば、知識と現実の検討とそれらに基づく自省や内省、さらにそれらが導く学習と再行動が伴わなくては、行動は行動足りえないということだ。
 
自由自律や独立自尊といったものは、それらの行動原理(エトス)からこそ生まれる言葉で、ただ、自分の感じたままに、自分の思うままに、そして、自分だけのためにやる行動をいうのではない。

個人であれ、組織であれ、地域であれ、社会であれ、国であれ、世界であれ、自らのあるべき姿を探り、普遍的ななにかを拠り所とした行動原理があってこそ、それができる。

目先の物事や損得、せいぜい50年や70年といったスパンで、それを探っていては、それはできない。300年、500年、あるいはそれ以上のスパンで自分や地域や社会や国に、もっといえば、地球というものをみていなかないとエトスは見えてこないのだ。

たとえば、欧米におけるキリスト教、中東におけるイスラームユダヤ教という宗教理念を頑なに守ることで、それらの経典宗教国家というのは、人々の行動原理の基準としている。

その規範が時代とともに揺らぎ、無神論者も増えたとはいっても、なにがしか、地域の、社会の、国の支え、慣習、慣例となっている宗教的なるものは存在する。
 
そして、それを基盤として村や町、都市さえもが形に投影されていく。つまり、精神性は建造物の造形とつながり、さらに地域づくりにもつながっているということなのだ。

もっといえば、地域の祭事にまわつわる身体所作が人々の意識に浸透し、地域ならでのは行動原理をつくっている。

私が地域づくりや地域の再生、新生に、地域の祭事や伝統芸能、あるいは地域ならではの工芸や業をしっかり見直さなければ、本当の意味での、地域の自由自律、独立自尊はない…といっているのは、こうした考えに基づいている。
 
つまり、ここには、どこにも金太郎飴はない。

映画の上映会の段取りとCM撮影の準備で、被災した地域をまわっていて、また、改めてそれを強く思う。ある意味、震災から3年が経って、いま、そこが正念場といってもいい時期にきている。
 
中之作で自前で地域プロジェクトを立ち上げ、地域の若い世代や支援者を募りながら、再生、新生へ地域の伝統文化を基盤にそれを達成しようとしている人がいる。
 
代表のTさんとの立ち話は、いつも止まらない。こうした取り組みの主役を外の人間ではなく、地域の人々がやることに大きな意味がある。
 
キーワードはやはり、海の町だ。