秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しい道すじ

日々の鍛練というのは、いくつになっても欠かしてはならない…。
 
これは武術や武道、あるいはスポーツアスリートだけにいえることではない。演奏家にも、美術造形家にも同じことがいえる。
 
そして、パフォーマーである俳優や舞踏家もそうだ。能役者の世阿弥は、その著『花伝書』の中でそれを執拗に繰り返している。
 
極めて、単純なことだが、じつは、これが難しい。

人の心には、少し具合や調子がよくなると、驕慢な心が生まれる。自信がつくと、それが過信にもなる。未熟であるということを忘れ、日々の単純だが、貴重な鍛錬の積み重ねで、いまがあることを忘れる。
 
そして、鍛錬するということを忘れる。そして、無駄な虚栄心や見栄や体裁ばかりにこだわるようになり、本来あった技能や才能までダメにする…。それは、私たちの仕事でも同じだ。
 
ある日、思いついて、本(脚本)を書いて、いい本が書けるわけではない。仮に、思いついて、いい本が書けたとしても、それを映像作品や舞台作品としていくには、思いつきではできない。
 
そもそも、その題材となる何かと出会うのは、ただ、やさぐれて酒を飲んでいれば出会えるもでもなく、アーチストらしき人間の輪の中にいれば、転がり込んでくるものでもない。
 
書こうという作業の中で、人と会い、人と出会い、世の中の事象を知り、学び、それを言葉に移し替えることに四苦八苦しながら、書きづつけるという作業の中にしかない。その労苦の中で、形にするという道が拓ける。

昨年末から3月まで、まったくといっていいほど、普通の時間がとれなかった。
 
昨日今日と仕事や事務的な作業あったのだが、これまでより時間のある土日を過ごせた。さっそく、二日続けて運動をやると、あちこちに筋肉痛が出る。いかに身体を動かしていなかったかということだ。
 
つまりは、からだも同じ。心身は常に共にある。今年2月に完成した作品に満足し、上映会の話もあちこちからもらい、ちょっと心が怠慢になっていたのかもしれない。
 
描くべき世界、書き続けながら、まだ終わっていない作品がある。それを忘れていてはいけない。それを実現するための鍛錬を怠ってはいけない。

そして、本来の福島支援の新しい活動への道すじづくりも…。
 
ふと、そう、なまった体に教えられる。満開の八重桜の下。春は慌ただしさの中で過ぎていく…。