秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

団旗

人には、あれがあれば、これが整えば…と、体制が準備ができなくては物事が進められない人と
 
とにかく、まずは行動して、体制や物事の手順はあとで考えればいいという人とがいる。
 
後者だと、見かけの形だけ、とりあえず繕って始めることになる。当然、そこには一貫性がなく、多くの人が巻き込まれ、方向性や方針が定まらず、何を目的としているのか、何を目指しているのかがひと目にもわからない。
 
いわゆる体裁だけあるのだが、始めたもの勝ちで当座はいい思いもできるだろう。しかし、結局、軸がないから、中途半端で終わることになる。
 
前者だと、思案や議論ばかりで、コトが前へ進まない。意見が出ても、後ろ向きの話ばかりで、実現へ向けたアイディアや工夫に知恵が及ばない。
 
そうこうしているうちに、コトを進めることのハードルがどんどん高くなっていく。
 
いずれも、軸をつくっていない。そのときだけではなく、その先を考えていない。考えているようで、じつははっきりした強い決意や意志がない。だから、どうしたってブレる。ブレるだけならいいのだが、最後には責任がどこにあるのかもわからなくなる。
 
ことほど左様に、何事かコトを始めるときに、決意や意志、覚悟といったものを持っている人や集団というのは少ないものだ。
 
先日の福島応援学習バスツアーの懇親会場に、MOVEの団旗を掲揚した。
 
じつは、これをつくったのは、NPO法人化が決定してすぐのことだ。そのとき、これといった大きなイベントや事業があったわけではない。だが、こうした団旗が必要なことがあると確信していた。

決意や意志、覚悟といったものがあれば、次になにがいるのか、次にどういう作業が必要なのかが、自然と見えてくる。各段、戦略会議やマーケティングに頼らなくても、見えてくるものだ。
 
なにかコトがあって、そのために準備するのはなく、また、準備することをたまらわず、いま、そして、それから先に必要だと感じることをきちんと実現すればいい。
 
かといって、身の丈の現実というものがある。人には、背伸びをしなくてはいけないこともある。だが、それも、その背伸びした先に、なにを手に入れるかを考えた上でのことでなくてはいけない。
 
身の丈を越えて、その先に手に入れるものを過大に想定すると、自らの首も絞めるし、周囲も窮屈にさせる。
 
人には負けるとわかっていても、闘かわなくてはいけないときがある。ことがある。
だが、その闘いは、その次の闘いに、いまより善戦するためだ。その闘いを周囲に記憶として残すためだ。
 
そして、何度かの敗北があっても、最後に勝利するためだ。戦というのは、初戦も途中の勝利も勝利にはならない。リングの上に最後まで立ち続け、最終ラウンドで相手を倒せば、それが勝利なのだ。
 
物事、すべてが勝ち負けではない。その戦では全力を賭して負けてもいい。だが、次には、勝つ。その決意と覚悟、強い意志を持つことだ。何度負けても、それが最終戦と考えながければ、人は闘い続けることができる。
 
そうやって、人は、さまざまな人としての権利と尊厳を守り、勝ち取ってきた。金や物には到底かえられない、その権利と尊厳は、人に誇りを与える。金や物ではそれはえられはしない。