秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人の道

今年の東京同窓会の代表幹事にされてしまって、その関連の作業がちょいちょい顔を出す。
 
この数年、封書による案内はなく、往復はがきでの通知だった。年々、参加者が少なくなっている現状を考えて、封書による通知を復活させた。また、どうせ、同窓会なんて…と考えている中年層や若い世代の人たちに、これまでとは違うというニュアンスを伝えたくて、呼び掛けのチラシも同封した。
 
その中に返信用はがきを入れた。
 
これだと記入欄が大きくとれることあったのだろう。返ってくる欠席のはがきの3分の1以上に、その理由や幹事会への慰労の言葉が添えられていた。
 
私のように面倒くさがりだと、欠席に印をつけても、その理由までは書いたりしない。だが、届いた欠席のはがきを読んでいると、そこに、会ったこともない、語ったこともない人たちの生活が見てくる…
 
ご本人が他界されたという息子さんや娘さんからの知らせがある。病気治療で入院中。健康を害して歩行もできない…。もう外出は難しいので、案内はいりません…。父の介護で時間がありません…。
 
高齢の方たちからの返信にはそんな文言が並ぶ。あるいは、孫たちの世話で外出がかないません…。おかげさまで、幸せに過ごせています…。
 
中高年になると、夫が他界し、福岡へ戻りました…。地元の祭りと重なって、いけません。趣味の集いでうかがえません。すでに、旅行を組んでいて、出席できません…。同窓生によろしくお伝えください…。
 
若い世代の中には、上京して仕事をしていたが、福岡に戻りました…というのもあった。
 
それぞれの理由とそれぞれの事情…。わずか数行の文字の中に、人の生活の現実が見える。
 
どういうわけがあって上京したのか。東京及びその近郊で何十年、何年と暮らし。そこに根を張っていまに至った人、そこから去って故郷へ戻った人…あるいは、亡くなった方…。
 
どんな人生だったかはわからない。だが、亡くなった後、ご遺族が返信に返事を書いてよこす…それは、そういう親子関係だったということだ。加齢による健康の喪失を伝える言葉には、老いることへの悔しさもみえなくはない。
 
一方で、いままでほとんど姿を見せていなかった50年卒以後の世代、62年卒の若い世代が参加の通知をくれている。平成元年卒の後輩は福岡に戻ったと知らせている…。
 
私には、じつは愛校心とか、母校愛とかいったものはほんどない。同じ時代、共に生きた連中への思いとそこを共に生きた自分の記憶はあるが、こうした同窓会に熱を傾けるような思いは同居していない。なぜなら、自分や仲間の力であの3年間を意味と意義と糧になるものしたと確信しているからだ。
 
終った時間であり、それをなつかしく振り返るより、そこでえたものをいま、その先へ生かす方が意味がある…と思っているし、そうやって生きてきた。

だから、同窓会に価値を見い出せない人間の気持はわかる。私自身、こんなふうに巻き込まれていなければ、代表幹事などやっていない。そもそも、同窓会そのものに参加したのは昨年とその前一度しかないのだ。

高校時代、十分、生徒たちを盛り上げたし、生徒会でも、演劇部でも、フォークサークルでも、文化祭でも、十分、学校には貢献したと思っている。それだけで十分。そう思っている。

だが、必要とされるなら、時間の範囲でお手伝いしよう。その気持ちだけだ。それは母校のことだからではなく、どの場面でも同じ対応をする。好き嫌いや情熱のあるなしの問題ではない。
 
それが人の道というものだ。