秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

経済とは

どの世界でもだが、ひとつの世界、業界の中で、そこそこ知られているとか、そこそこキャリアがあるというだけで、その人の能力や人柄に見合わない地位や立場、権力を与えられる人たちがいる。

基本にあるのは、その世界、業界や団体、組織の緩さとそうした肩書に弱いというこの国の人のお人好しさ加減、名前や権威に弱いという脆弱さの表れなのだが、簡単にいえば、中途半端な人たちが多いということだ。
 
確かに、そうした中途半端な人たちがいないとその世界、業界、団体、組織というのは、その中から優秀なひとり、秀でたひとりを生み出すことができない。冷徹な言い方だが、能力差を知るうえで、中途半端な人も必要だからだ。
 
だが、わずかばりの過去の実績や私たちの世界でいえば、過去の作品にしがみついて、それだけを拠り所に、いまを生きてない、明日を生きようとしてない人たちは、その世界の弊害でしかない。
 
昨日、音楽関係のコーディネット会社をやっている旧友のひとりが久しぶりに℡をくれた。制作配給会社が西麻布にあって、その打ち合わせで乃木坂にきたらしい。
 
映画や舞台とは直接縁のない彼女が…と不思議に思いつつも、仕事で近くにきたからだろうと会ってみると、これがあるプロダクションと映画制作のプロデュースをやっているという。
 
聞けば、自主映画制作やら、エンターティメント映画やら数本制作にかかわっていて、いつくかの会社で協働して制作する映画の監督が思うように動かないという話。冗談めいていっていたが、じつは、いろいろと問題のある監督を降板させて、私がメガフォンをとってくれればと考えていたに違いない。
 
進行状況やクランクインの日程など聞いていると、うちの自主作品の制作の頃とぶつかってしまう。手伝う気持ちはなかったが、それがいい断りの口実になった。

それなりに実績はあるんだけれど…と彼女を困惑させた、この類の監督や舞台演出家、制作会社のいい加減さがここにきて、いろいろなところで表に出てきている。
 
以前からあったことだが、ちょっと名のある終わってしまった俳優や元アイドル、タレント、グラビアモデルを使い、映画や舞台をやる。あるいは畑違いの業界から主役を抜擢する…
 
簡単にいえば、素人集団じゃないぞと外聞をつくろい、実は、素人同然のいい加減さで制作に入る。結果、稽古中や制作準備期間中に素人としか思えない行き違いや問題が起きて、とん挫する。とん挫しないまでも、よくわからない舞台や映画をつくる。配給もできないままで終わる映画もあるのだ。これも素人だが、配給会社を先に決めていない。

犠牲になるのは出演した俳優たちで、出演しているのにチケットをノルマで売らされ、ギャラはその売れ行きで決まるといったふざけたことが当り前になっている。とん挫して公開されないままギャラも出ないということもある。
 
そんなことで、俳優が舞台や映画に集中できるわけがない。まして、そういう監督や演出、あるいは制作会社ほど、芝居のいろはも知らない。それどこか質が悪い。
 
無名のギャラの安いグラビアアイドルや売れないAKBもどきを登場させた深夜番組をつくっているようなところだったり、バラエティしかやっていないようなところがきちんとしたドラマをつくれるわけがないのだ。
 
過去に劇場公開の作品をつくっていようが、世間の人気を集めて名を売った人間だろうが、本当に芝居を知っている、学んでいる、そして、それを人に伝えるメソッドと教授法を知っているという人はそう多くない。
 
他人事ながら、スタッフ、俳優や俳優を目指す人が気の毒だ。だが、そうしたものに巻き込まれてしまう、そうしたものを選択してしまうというのは、同時に、その人たちにも責任がある。その人たちも芝居を知らない、学んでいないからだ。
 
表現というものは、その目的が経済だけになるとこうしたことが増える。生活の糧や富をえるためだけが、目的で、そのために名前さえ売れていればいい、仕事さえあればいいという中で、目指すべき本来の表現というものを忘れてしまう。
 
これは映画や演劇だけにいえることではない。地域も社会も国も同じだ。
 
やるべきことはなんなのか。自分たちはだれのために、何のために、表現にかかわっているのか。その仕事にかかわっているのか。その誇りと思いを失っては、結果的に経済もついてはこない。経済とは、金ではない。金を動かす人の心のことをいうのだ。

ここには、人の心を動かそうとしている人たちがいる。