秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

始まったスマートな世界

ひとつのプロジェクトには、準備がいる。段取りもいる。だが、それもただやった、だけでは終わらない。
 
関係者への報告もあれば、お礼もある。だが、その手間がまた、こちらの名前を憶えてもらうことにもつながり、かつ、きちんとした団体なのだなという印象を植え付ける。
 
これは世の常識だ。ただ、そこに配慮を持てば、それだけ手間も時間も労力もかかる。万全ではない中で、それをやるから意味がある。不足や不備があっても、それを形にして提出しようとするところが大事。

そうやって、震災後の4月から2年と5ヵ月で積み上げてきたものがある。先週の金曜日の夜は、それを形にして示す、オレにとっては大事な節目のイベントだった。
 
とはいえ、それはスタートに過ぎない。スタートラインにつけるのに、オレは最初から2年以上かかると踏んでいた。ほんとうの苦労や大変さはこれからだ。
 
人はすぐに結論や結果を求めたがる。被災地への支援活動にせよ、仕事にせよ、人との付き合いにせよ、結論や結果、あるいは、自分への評価がないと不安になる。
 
しかし、それはつまらない、虚勢だ。見栄だ。体裁だ。そして、簡単になにかを手にいれたいという怠惰と狡猾さでしかない。
 
ほんとうに頭のいい人は、短絡的に安易に手に入るものには用心する。苦労や積み重ねや努力や苦痛がないところに、確かなものはないと知っているものだ。

人がかかわる以上、その場だけよければいいのではない。その先、その次、そして、自分や自分にかかわっている人たちがいなくなっても、それがなんらかの形で、ひとつの確かな意志と願いとして継承される道を探らなくてはいけない。
 
それが人が集り、とのような形態にせよ、集団となり、なにかをつくりあげていく基本なのだ。
 
それがわからない人は、だから、組織をつくれず、スタンドプレーに走る。そして、いつかだれもいなくなる。
 
協調が同調になってはいけないが、あるひとつの見えない価値観を共有できなければ、組織を形成する意味はない。また、他とのつながりを持つ必要もない。

結論や評価はいまそこにあるのでない。自分や自分たちが目指す、確かな行動の先にしかないのだ。

ビジョンと映像のないところに、結論や評価はついはきてくれない。それを信じる力しか、物事は実現していけないのだ。スマートということはそういうことさ。

始まったスマートシティ。
 
アクセスは、こちらから http://www.smartcitymove.com/
 
イメージ 1