歩み続けることの大事さ
政治的なかけひきは、じつは好きではない。戦略的なことがらも、じつは好きではない。戦術を駆使して、目的を達成するというのも、ほんとは好きではない。
普通に語り合い、普通に気持を寄せ合い、そして、普通に事を進めていくというのが、ほんとはいい。
だが、人とかかわることでしか、何事かをなすことはできない。そうなると、どうしてもその普通ができないときの方が多い。人は千差万別。考え方もとらえ方も行動の仕方も、一応ではない。
そこに種を投げかけ、人々の気持や思いを集め、一つ事をやるとなると、その一応でない心の茂みを整地するということをやらなくてはいけない。棘と格闘しなくてはいけない。
そうなると、どうしても政治的なかけひきや戦略や戦術といったものが必要になる。こちらが必要としていなくても、相手や周囲がそれを必要とする。状況をつくり、状況をまとめるためには、かけひきがいるからだ。
どうしてこうも人は、自分のことしか考えなのか。どうしてもこうも人は自分の都合や立場ばかりに心を支配されるのか。その当り前のことにぶつかり、それが当たり前なのだと毎回教えられる。そして、悲しい気持ちになる。
心が共有できないことは怒りにはならない。それよりは悲しみの方が大きいと思う。
人はそうした面倒くささや悲しみと出会いたくないから、人との深いかかわりの中で何事かをやろうとしない。自分の世界だけを守るために生きていれば、そうしたことに出会う人や回数は少なくできる。
大きな志など持たず、わずかばかりの生活の範囲を守るだけなら、そうそう、わずらしい問題にぶつかることはない。
だが、マザーテレサはいう。
どうしてこうも人は、自分のことしか考えなのか。どうしてもこうも人は自分の都合や立場ばかりに心を支配されるのか。その当り前のことにぶつかり、それが当たり前なのだと毎回教えられる。そして、悲しい気持ちになる。
心が共有できないことは怒りにはならない。それよりは悲しみの方が大きいと思う。
人はそうした面倒くささや悲しみと出会いたくないから、人との深いかかわりの中で何事かをやろうとしない。自分の世界だけを守るために生きていれば、そうしたことに出会う人や回数は少なくできる。
大きな志など持たず、わずかばかりの生活の範囲を守るだけなら、そうそう、わずらしい問題にぶつかることはない。
だが、マザーテレサはいう。
「あなたのつくりあげたものが壊されるでしょう。気にすることなくつくり続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちをうけるでしょう。気にすることなく、助け続けなさい。あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。けり落とされるかもしれません。でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
政治的なかけひきも、戦略や戦術も、必要だと思っているのは、自分がそうだと思っているだけのことに過ぎない。人とのかかわりで何事かをしようとすることを煩わしくしているのは、煩わしくしている自分がいるからだけなのだ。
自分の願いや志のために、他をみるのではなく、その願いのもとにあったもの、志を抱いた最初にあったもの。それを忘れていなけば、マザーテレサがいうように、悲しみよりも、歩み続けることの大事さの方が勝ってくる。