秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人生を決めたもの

日本には演劇を体系づけ学べる場がそう多くない。ぜいぜい、私立大学の文学部に演劇科といわれるものが数校あるだけだ。
 
東京芸術大学は、数年前、ようやっと映画関連の研究学科を設けたが、音楽学校、美術学校を統合してできた大学のため、演劇が立ち入る隙がない。映画学科ができたのは、美術学部と映画は、写真芸術という意味で、近いということもある。
 
海外では当たり前なのだが、東京芸大は、工学部ではなく、美術学部の中に建築科を持つ、日本でも先進的で稀有な大学だ。しかしながら、演劇は芸大のアカデミズムに組み込まれることはなかった。

アカデミズムの分野で他の追随を許さない、演劇研究をしてきたのは、早稲田大学だ。日大の演劇科などと違い、実践の俳優、演出家のための教育ではなく、あくまで、体系と論理、研究を対象としている。
 
それには、文学部の成立に坪内逍遥がいたこと、日本近代劇の幕を開けた、築地小劇場小山内薫が教鞭をとっていたことなどが大きい。
 
だが、早稲田の演劇のすごさは、近代演劇研究一辺倒ではなく、日本古典芸能から能楽文楽、歌舞伎まで、日本の伝統演劇の研究にも力を注いできたことだ。そればかりか、世界の伝統芸能にも目を向けている。

体系的で総合的に演劇を学ぶなら、早稲田を置いてほかにない。実際、教授陣もわが国トップクラスの研究者が多かった。

とはいえ、オレはその演劇にいかず、英文にいった。シェークスピアを原書で読むためだ。
 
それでも教養で、河竹先生(河竹黙阿弥の子孫)、郡司先生、武智鉄次先生などの講義を聞いた。日本演劇概論、西洋演劇概論を学び、歌舞伎、能楽についての基礎的学習をさせてもらった。それがあったおかげで、東宝という場ではあったが、歌舞伎研究者で、演劇評論家でもあった渡辺保先生と出会えたとも思っている。

文学部の学びというのは、もらったひとつの情報を頼りに、そこに関連する糸を手繰り寄せ、専門的な言葉の向こうにあり、それを形成しているそれ以外の分野の知識や情報を血肉としていくことだ…と思う。そして、それを、次に、現実に実践応用する。
 
いや文学だけでなく、研究と研鑽とは何事もそういったものだろう。ひとつの学問を支えているのは、ひとつのカテゴリーではない。違う分野との関連性の中でそれをみないと、あるひとつの仮設や論証にはたどりつけない。学の広がりもない。

学の広がりがないということは、実践応用したときの広がり、つまり、抽斗が多くならない。演出や監督であれば、演出をつけるという現場での多様性がない。俳優であれば、演出の意図を膨らませ、広がりのある芝居ができない。脚本家、劇作家であれば、魅力ある骨組をつくることができない。

ということをいまさら語っているのは、昨日、久しぶりに大学へ行き、早稲田大学演劇博物館に人を案内したからだ。

久しぶりに、演劇博物館の明治時代の残り香のある建物(シェークスピア時代のグローブ座を模型としている)のきしむ木造の床と古びた建物の匂いの中に身をおいて、体系的な日本演劇の流れをビジュアルに体験できる施設というのは、よく考えてみると、母校の演劇博物館しかない…ということに改めて気づかされた。

実は尊敬する渡辺保先生は慶應の学生時代、早慶戦などで休校になるとこの演劇博物館に日参されていた。そこで徹底的に歌舞伎を勉強していたのだ。

勉強のためという口実で人を演劇博物館に連れてはいったが、じつは、オレ自身がほんとは、あの空気に久々ふれたかったのかもしれない。オレの人生を決めたものに…。