秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

This Bible is the government

日本人というのは、概念形成というのをやらない。やるとしても、どこかの本にあるような言葉をならべ、やれ、ステークホルダーだの、BtoBだの、コンセプトだの…言葉にあやつられて、概念そのものをつくりあげるということができない。
 
基本的に母国語が達者でない人が、いくら英語や外国語の言葉を駆使して、よさげなことを語っても、概念というものを構築することは容易ではない。はっきりいって、ほぼ不可能。
 
哲学書を多少なりとも読んだことのある人なら、それくらいのことはわかる。言語と思考とは密接に結びついているからだ。

オレの卒論テーマだった、ベケットは、アイリッシュながら、フランスに移住し、フランス語で小説を書き続けた。それは、ベケットの小説や戯曲の概念形成にフランス語がもっと適していたからだ。
 
ことほどさように、概念を形成するために、言語は重要。それも中途半端に借りてきた専門用語の羅列からは生まれはしない。

昨日、仕事やMOVEの段取り作業の間隙を縫って、映画「リンカーン」を観てきた。この春は観たいという映画が珍しく多い。
 
映画としての出来不出来は別にして、ほぼ3分の2以上が濃密な討論や激しい議論、論争でつくられている。はっきりいって、開始から10分ほどで寝てしまう人もいるに違いない…と思うほど、言葉、言葉、言葉…ディベートの映画だ。
 
スピルバーグはそれを予想して、映画冒頭にわざわざ、状況説明の解説で登場している。映画本来の姿からいえば、禁じ手中の禁じ手w

それでもあえて、議論、論争、対話だけの作品にしたかったのだ。それは見終わるとわかる。つまりは、概念、ここでは民主主義がどうやってつくられていくものか、その手間暇と煩わしさと、そして、そのための根気と忍耐と調整と攻防、さらには、戦略と打算がいるという姿を見せたかった。

議論を惜しまない…と同時に、ここでは聖書に照らして=普遍の真理に照らして、法のもとにすべての人は平等である…という確かな意志と決意によって、概念を築く。民主主義という概念が修正第13条の成立までの議論を通して、成立する。それを描きたかったのだ。

有名なgovern
ment of the people, by the people, for the peopleも、リンカーンによって一瞬にして生まれた言葉=概念ではない。
 
14世紀初頭、オックスフォード大学教授で、聖職者のジョン・ウィクリフが聖書を英語に訳したとき、その序文に、This Bible is the government of the people, by the people, for the peopleと記載した引用だ。さらには、これを政治家のウェブスター、黒人解放運動家のパーカーが引用し、リンカーンに至っている。
 
ちなみに、この場合のbe動詞、isは、belong toやlikeと同じ用法。~である、ではなく、~に値する~の基である…と訳す。

何度が語っているが、欧米、中東において、つまりユダヤ、キリスト、イスラームの経典宗教国家群において、法の概念形成に宗教は抜いて語れない。欧米において、民主主義が鍛えられ、さらには、社会主義社会民主主義といった概念形成できたのは、実は、このことが大きい。
 
宗教的根拠をどこに置くかにおいて、イデオロギーが形成されてきた。そして、小室直樹が語っているように、あるいは、マックス・ウェーバーが説いているように、それによって、どのようなブレやズレが社会に起きても、それを揺り戻す根拠と倫理の基準を持ち合わせてこれたのだ。
 
This Bible is the government of the people, by the people, for the peopleという言葉はそれをまさに象徴していると同時に、この映画においても、常に神の教えを基準に、法においても、普遍的な真理に辿りつくことする苦闘が描かれている。

この国の人たちは、情緒や心情にさらわれやすい。あっというまに、排他的民族主義者が増大し、概念形成のための議論や論争の手間暇を無駄扱いする。かつての戦争もそれによって起きた。朝鮮人、中国人を始め、アジア諸国への差別と偏見もそこから生まれている。
 
靖国参拝アジア諸国を始め、不快感をあらわにすると、これは我が国の問題であり、英霊に頭をたれるのは当然と意に介しない。靖国がどうして誕生したのか、そもそも靖国は一宗教法人に過ぎない民間団体。そうした現実を議論し、これが本当にこの国の国家的合意が形成され、宗教的合意がえられ、世界からも当然と認識される施設なのか。
 
その根本的な概念形成をしようとしていない。戦争責任をあいまいにしたまま戦後を生きたように。
 
天皇が参拝にいけない(いこうという意志を持てない)慰霊施設など、そもそも普遍的概念形成の対象ではない。