秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いわき紀行2 ゆるがない決意

たまたまの出会いだった。農水産観光振興のためにつられた、いわき市役所にある「見せる課」。その課長のNさんと駅前の大衆割烹で隣の席になった。
 
おのざきのO社長と飲んだ、いわきツアー初日の夜だ。そして、それを縁に、観光交流課の課長さんに新任あいさつに伺った足で、おじゃました。実は、当初から見せる課には顔を出すつもりでいた。観光交流課から話を繋いでもらえば…そう思っていた。
 
だが、それより、近しくなれる場で御縁をいただけたのは、何より。
 
写真撮影を…とお願いしたら、農水産部で「見せる課」に関わっている職員のみなさん、総勢20名近くがユニフォームジャンパーで集まってくださった。業務中に、ムリなお願いながら、ご協力いただき、感謝。写真は一眼レフだったので、後日。
 
その足で、いわき観光まちづくりビューローのH専務にもあいさつにいった。そこでも、見せる課でお話しした同じことをお伝えしてきた。

地域行政や広域行政の立場にあれば、できるだけ広く情報を拡散し、大多数の人に福島、いわきの農水産、観光の安全性、信頼性を訴えたい。大手の交通機関や販売組織とつながり、そのヴァリューにのって、さらに、安全性を訴え、消費や観光を呼び込みたい…
 
そう思うのは行政にいる人間やそれに関わる人なら当然の気持ちだ。地域全体の利益を担う立場であれば、それを使命としなくてはいけない事情もあるだろう。
 
だが、会津でも話してきたように、放射能汚染への不安や原発事故におびえ、あるいは、マスコミやバイアスのかかった市民団体の流す情報に翻弄されている人々に、膨大なコストをかけて、安全性を訴えても、決して、消費にはつながらない。
 
まして、西日本でも、関東、東北以外の地域でも手に入るような野菜や果物、あるいは観光地をアピールされても、そこに触手を伸ばす動機づけがない。同じ時間、同じコストをかけるのなら、まったく問題のないもの、場所を勢い選択するのが、人というものだ。

だが、そうした圧倒的な人々のに、埋没している、そうではない人の思いがある。
 
なにもできないが、なにかできることがあれば…。被災地のために、福島のために、できることがあれば、やってみたい…。そう思いながら、きっかけや出会いがない人々がいる。
 
港区檜町公園での2回にわたる「大いわき祭」「福島・東北まつり」では、近隣の中高年の方々が両手に袋いっぱいの福島の野菜を買って自宅に急ぐ方がいた。

あてにならない1000万人の人に、被災の現実やつらさを伝え、温情や憐憫を煽ることが復興ではない。安全性や信頼性の言葉だけを声高に、ただ通過する人々に訴えて届くものではない。
 
やるべきは、確かな1万人に、温情や憐憫ではなく、こちらも確かな意志と思いで、ファンになってもらえる、きちんとした情報を提供することだ。確かな1万人の人々が魅力的だと思える、自分たち地域にしなかない、モノ、コト、ヒトを提供することだ。

いやいや、そんな大それたものは…。などと、卑下して自分たちの地域のモノ、コト、ヒトを値踏みしていたら、だれも見向きなどしない。都会に伝わってない、マス情報にものっていないモノ、コト、ヒトの中に、自分たちの足元に、実は、たくさんの魅力と宝がある。
 
自分たちに誇りを持てば、それはすぐに見えてくる。
 
1万人の確かな意志は、確実に、リピーターになる。そして、リピーターたちが自ら地域に代わって、地域の知られない魅力を発信する基地になってくれる。確かな1万人が、また、確かな1万人を呼び、その1万人がさらに確かな1万人を呼ぶ…
 
そうした努力と研鑽と挑戦を、これまでどれだけの地域が取り組んだといえるだろう。

1000万人のお情けと投げ銭に頼るな。同じ立場、同じ生活者、同じ人間として、対等の立場で。憐みや同情ではなく、私の一票が地域新生の足掛かりになるという、対等の決意の中でつくられるという決意、それこそこが、行政も地域も、市民も共に取り組むべき道なのだ。

そのゆるがない決意があれば、かならず人はついてくる。