秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

凛として

大人の男が、いや、女性でも、仕事や何か自分の挑戦していることに疲れたとき…あるいは、ひとつことを成し遂げるために、身を削り、同時に心も削り、いつか心の潤いを亡くし、ギリギリまで自分を追い詰め、知らぬ間に、干からびちまった悲しみやかさぶたのように、ふさいだ傷ができてしまたとき…
 
酒、たばこ、女や男…あるいは、ファッションやギャンブル…そこにやすらぎやいやしを求めてしまうといことがある。

だが、それは決して、自分を幸せにもしなけば、いやしてもくれない。逆に、いろいろな煩わしさを増やし、また、乱暴な生き方を広げ、からだも心も傷めるだけだ。
 
しかし、そうとはわかっていても、そうしたものにすがらないと自分を保てない…というときが人にはある。

それを意気地がない、気持ちが弱いと切り捨てることは簡単だけれど、そうした人の弱みや痛み、つまならさ、くだならさがわからなければ、本当に人を描くということはできない。

許す許さないではなく、人はそういう闇も持つこともあるのだ…それが理解できない人はつまらない。そこまでを人の範囲として、許容できる人でないとおもしろくない。

いくら万全を期して、安全な道を、かつ、人に迷惑をかけない人生を生きていこうとしても、あるいは、いま現在、かりにそうしたことができていたとしても、すべてにおいて、かつ生涯、十全にそれができる人などいやしない。

だが、それでも、人は凛として生きる道を求めなくてはいけないと思う。いや。それがわかっていて、あるいは凛とできない自分のダメさと向き合いながら、凛とあろうとすることが大事なのだ。

美しい人は世間にごまんといる。だが、ただ美しいだけではない人は実は少ない。
凛とした人は世間にたくさんいる。だが、凛とあろうとして、凛と生きる人は実は希少だ。
 
いずれも世間的には美しいと思われない人、凛としているとは思えない人に、美しさをみつけ、凛とした生き方の片りんをみつけられる人だからだ。