秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ひとりひとりが持つ決意

一気に選挙モードになっている。
 
こうした時節にはお決まりだが、あれこれ政党批判や政権批難、政党政治へのあきらめと第三極とやらへの期待感から批判、さては、無期待、無関心など…マスコミが先頭をきって、わかりやすい図式と分類、分析をやり、いつものように表層的ないまの現象だけを論じて、時代の文脈や政治形勢の流れと真実を語ろうとはしない。
 
この国のマスコミ、とりわけ報道が実に浅薄で、記者クラブよろしく提灯記事のような取材内容しか報じなくなったのはいつからだろう。いや、提灯記事どころか、タレントの個人的な考えがまことしやかに正論として論じられている。
 
報道を身近に…というのはわかるが、タレント司会者やタレントまがいの学者や評論家を並べて、報道バラエティのようなものを始めた頃からその傾向は顕著だ。あきらかに、大衆操作や世論操作になることを平気でやるようになっている。あたかも、マスコミ人は正義の人であるかのごとく。

いまの時代、検察とマスコミほどたちの悪いものはない。権力によっていかようにも大衆意識も政治もコントロールできるからだ。身を律することができないから、自己批判もなければ、自浄機能もない。

TPPにせよ、原発にせよ、復興予算にせよ、景気対策にせよ、あるいは対中国、韓国との領土問題にせよ、対アメリカとの関係をこの国はどうするかで片の付く話だ。

戦後ずっと続けてきたアメリカ追随、もといえば、アメリカ隷属国家として生きていくのか。CIAや国家安全保障局からの圧力や謀略があっても、政治家、政党が身の危険やいのちの危険にさらされることがあっても、国家国民のために、自主外交路線、自主経済路線を貫くのか…の問題に過ぎない。

どの政治家も決まりきった言葉のように、国家国民のために…という。だが、その多くは、これまでの選挙活動で口ぐせになった程度のものでしかない。あるいは、自分や自分を支持し、考えを同じくする人たちのための国家国民論でしかない。

郵政改革によって、郵貯から膨大な金がアメリカ国債の買い付け資金にされてしまったことや郵政改革によって地域の集落がますます限界集落化へ向かっている現実など…アメリカの政策に翻弄され、格差社会に投げ込まれた現実もいまや語る人もいない。

地域の困窮と試練をわがこととし、地域共同体の枠組みづくりと新生によってしか、この国の自主的で、自立的な一歩が歩めないことを切実に実感している人がこの国には少なすぎる。

政治や経済、マスコミは圧力で動かせる。だが、市民、地域生活者ひとりひとりが持った決意は容易に圧力だけでは崩せない。