秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

願いは必ず実現できる

午後から、ブッティストの経営者の集りで、サイデリア創業者で会長のSさんの懇親会に参加。実は、10年以上前、埼玉にある本社工場で、個別に面談いただいたことがある。
 
ある方の伝手で、超教育ポータルサイトOUTの編集長業務をやっていた頃で、運営資金の相談と映画の企画のプレゼンを兼ねていた。そのときの面談でつかんだのは、自立。それと、社会貢献事業にも戦略がいるということ。

Sさんがはっきりそういったのではない。だが、話の文脈からつかんだのはその言葉だった。それだけがきっかけではないが、うちが自主作品を手掛けるはずみをつける
ために背中を押された感じがあった。受注からの脱皮。そして、社名のFor The One(人様や崇高さのために)を貫けということだった。余談だが、直訳すると神のために、になる。
 
千葉で小さな洋食屋を学生時代から一代で始め、いろいろな試練の中で、現在のファミリーカジュアルなイタリアンレストランチェーンを実現した方。
 
その過程やSさんの「人のために」という経営理念は知る人も少なくないだろう。多くの成功者の中でも、少し変わった視点を持つ方だ。
 
フランチャイズビジネスやチェーンレストラン、居酒屋の経営者はいるが、お客さまへの感謝といった言葉をしごく簡単に言葉にする人は多い。だが、本気でそれに取り組んでる人はどれほどいるだろう。
 
また、従業員の本音。客が心に思う現実、事実、現象をありのままに受けいれ、自分の眼と個別の面談の中で、本音を聞きとどけようとする経営者はどれほどいるだろう。
 
Sさんの考えは、明らかに、利益や効率性ばかりを求める浅ましい経営理念とは一線を画している。

それは、根底に、人々の幸せ=健康から、という食文化を担う社会的使命と貢献を強くもっていらっしゃるからだろう。
 
お客様がよろこぶために…とか、お客様が満足していただくために…といった言葉や対策、システムはどこででも聞く。代理店のプランナーや小賢しいコンサルなど、CSといったマーケティング用語を連発してそれを語る奴もいる。だが、その腹の底に、それで、どれらくらいの利益がでるんだ…という値踏みが必ずある。
 
いや、その値踏みから、あとづけで、お客さまのために、と平気で語っている経営者やビジネスマンは少なくない。しかし、その真実は結果に現れる。うまくいっているようで、うまくいかなくなる。
 
そこで、失敗から反省するやつらは多い。だが、多くは、そこで働く人間や客に負担をしいるようなシステムをつくってしまう。利益が本音で、経営のことしか考えてないからそうなる。すると、モチベーションは当然、落ちる。店でいえば、来客数が減る。
 
失敗から反省するというのは、その失敗の実相を知るということだ。マニュアルを強固にしたり、従業員、あるいは自分自身のケツをたたき、客に負担を強いることではない。そうした形ばかりの精神性ではなく、身を切る思い、身を切る現実を引き受け、もっと人々に喜んでもらうために、学習をし、実施(試行錯誤)し、挑戦していくことだ。
 
それによって、失敗が問うてきた、問いへの答えがより強固になる。「おまえは、それをやりたいのか」「おまえは、それをなぜやろうとするのか」。それらにきっちり答えを持たなければ、学習も実施も、挑戦(経済的、金銭的負担を含)も生まれてこない。

その当り前のことを当たり前にやる。ただ、それだけのことなのだ。

世の中の人は、みな頭がいい。どうしたら自分の得になるか、損になるかを瞬時に計算する。そして、損になることなんかやめておこうと考える。だが、自分の得とはなんなのか、自分にとっての損とはなんのか…そこを深く考えようとしない。
 
損して得とれ。という言葉がある。これは、オレ流にいいかれば、損して、徳とれ。ななのだ。S社長がいっているのも、同じことだと思う。目先の利益や頭のいい計算ではなく、自分にとっても、かかわり合う人にとっても、最終的に目指すべきは、人間としての徳なのだ。
 
いつもいうように、人はいい加減な存在であり、邪さや愚かさを繰り返す存在だ。徳がないからこそ、できなくとも、徳を求める生き方をしようとすれば、すがすがしくなれ、ちょっと元気になれ、そして、少しだけ幸せな気持ちになれる。
 
大事なのは、失敗しても、脇道にそれそうになっても、そこへ戻れる自分であろうとすることだ。そのためには、願いがいる。思いの深さがいる。それを失敗は鍛えてくれているだけのこと。願いは必ず実現できる。痛みを伴うたびに、妄想だったものが、願いへと脱皮していくからだ。痛みを受けいれられないものは、いつもまでも妄想の世界で、小賢しい理屈を言い続ける。