秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いつも通りの道 いつもと違う道

人は習慣性にこだわる…という一面がある。
 
たとえば、あなたが通勤や通学で使う道。おそらく、ほぼ毎日、同じ道、同じ風景を歩いているに違いない。その理由は、それが一番の近道だからかもしれないし、その道をいかないと安全ではないからかもしれない。
 
あるいは、その道が好きだったり、その行き方でないと落ち着かないからかもしれない。
 
それがある日、その道を通れない事情があったり、環境があった場合、つまり、もっと急いで会社や学校にいかなくてはいけなかったり、工事や事故でそこからつかえないという場合だ。
 
おそらく、あなたは、それはそのときだけ、その日だけのいつもと違う道だからと、あまり気にとめもしないでその道を行くだろう。いつもと違う風景やいつもと違う何かとすれ違いながら、だが、そこに、いつもと違う何かを感じようとはしない。いつもと違うことを楽しもうとはしない。
 
すべからく、いつもと違うものを受け入れようとしていなからだ。習慣性へのこだわりがそれをさせる。
 
いつも通りの道…それは、自分の予測や理解の範囲にある。習慣化された中で、違和感やなにかを感じることもない、心の平穏がえられる。
 
だが、果たして、それでいいのだろうか。

人生を豊かにするものには、二つある。日々の習慣性を守り、そこにある日常の人とのつながりや自分を包んでいる環境へ感謝し、毎日という習慣性をキラキラした新鮮なものとして、生き直すことができること。
 
もうひとつは、日々の習慣性を越えて、いままで自分から踏み入れることのなかった、いつもと違う何かと出会い、それを新しい世界として楽しむことができること。
 
どちらがいいとか、優れているという話ではない。

だが、ややもすると、習慣化へのこだわりは、人の脳の働きに限界をつくる。毎日という日をキラキラできる人は習慣化が生む、脳の硬直を突破する知恵を持つかもしれない。しかし、そうではない人にとって、習慣化は、自己保身や異なるものを受けいれる力や権威や肩書、学歴といったものにこだわるという悪癖ももたらす。
 
疲れたら、自分の中につまならないこだわりをみつけたら、いつもと違う道を意図して歩いてみることだ。あせらず、そこで見えるもの、感じるもの、出会うものを楽しんでみることだ。

世界は常にひとつではない。

写真は、福島・東北まつり、両日出演してもらう、民謡アイドルの永峯恵さん。
 
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