秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

郡上おどり

昨夜、BSの国内の地域の魅力を紹介する番組シリーズで、「郡上八幡」を紹介していた。当然ながら、その大半は郡上おどり。
 
福島支援のイベントで郡上おどりに出てもらったいるから意図してみようとしたのではない。いつものように、テレビの端末でいじっていたら、そこにあったのだ。ある仕事やプロジェクトと向かい合っているとき、オレはこうした不思議な現象にたびたび出会う。
 
ずいぶん以前、尾崎豊の育ての親でもある、音楽プロデューサーの須藤さんの監修で、尾崎豊が撮影した写真構成でつくった「尾崎豊eyes」の構成・監督を頼まれたことがある。題材が題材だけに、ナレーターをだれにしようか、迷った。思いつきで、まず、中島朋子や常盤貴子はどうかと当たった。しかし、根強い人気を持つ尾崎豊
ため、ファン心理を考え、二人の事務所ともにしり込みされた。中島朋子は、ご本人が、私など恐れ多い…と実に丁寧に固辞された。
 
さて、困ったな…と、ある日曜日にNHKのドラマを見ると武田泰淳の小説をドラマ化し、モントリオールのテレビドラマ部門で最高賞を受賞した作品をやっていた。その主演は、まだ当時20代だった中島ひろ子。当時、20代の女優の中では演技力は群を抜いていた。瞬間、彼女だ!と確信して、すぐに事務所に連絡した。あのとき、偶然、テレビのチャンネルをそこに合わせていなければ、中島ひろ子を選ぶことはなかったと思う。そして、それは大正解だった。

そうしたことはじつは、枚挙にいとまがない。人は普段から、見えないなにかの力で常にサイファを送られている。しかし、集中し、何かに思いを注いでいないとそうしたものに気づくことができない。散漫な情緒といると、すっと素通りしていってしまうからだ。
 
だが、何か真摯に作品に向っていると、そこに出会ういろいろな情報というのは、こちらにサイファを投げかけていることに気づける。
 
戦後の高度成長期、地域から中学を卒業してまもない若者たちが都市へと流出する中で、あるいは進学でふるさとを後にする中で、各地の盆踊りはなくなっていく。
 
日本の共同体の崩壊は、あのときから始まっていたし、地方の疲弊はあのときから自明だったのだ。かつて、盆踊りは全国どこもでも、夕刻過ぎから明け方まで夜通し踊るのが普通だった。それが、限られた日になり、やがて、それも維持できなくなっていく。それは、地域が地域力を失っていく時の変遷と符号している。
 
その中で、なぜか郡上だけが、いまでも8月13日から16日まで、4日間も夜通し踊る。それだけではない。郡上おどりの期間は7月から9月まで。その間、32夜も踊られるのだ。どうして郡上だけが古くからの盆踊りの文化を守れてきたのか。番組はそこまでは深く切り込んではいない。
 
しかし、国内でも類のない一揆を起し、多くの死者、犠牲者を生んだことと無縁ではないだろう。また、同時に、度々、権力による分断政策が行われ、裏切りや離反といった現実を同じ村、隣村同士で繰り返してきたこととも関係があると思う。ひとつにつながるためには、村中、村同士で連携できるものが必要だった。それは、また、互いの傷を許し合う場でもあったに違いない。
 
吉田川の清流に、高所から飛び込むことが郡上の男になる試練のひとつとなっている。その子どもたちの表情と情景をみながら、ふと思った。きっと、戊辰戦争のとき、郡上隊として会津戦争に向った連中の多くも、吉田川のこの夏の風景の中で郡上の男になろうとして育ったに違いないと…

期間中、郡上には15万人もの地域外の人が押し寄せる。その温度や目的はいろいろだろう。だが、少なくとも、日本人の中に、失われた共同体の原風景を体験してみたい、ふれてみたい…という思いがあることは間違いない。
 
ほんとは、これからこの国がどこへ、なにを目指して進まなければいけないのかを、人々は知っている。気づいていないだけだ。そして、覚悟を持てないだけに過ぎない。