秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

殴ってでも聞かせようぜ

連休明けから、「福島・東北まつり」のチラシ・ポスター原稿とデータのとりまとめで、完全にあっちの世界へ飛んでいたw
 
昨年の「大いわき祭」もなにかと大変だったが、いわき市やいわきの団体とのやりとりだけだった分、幾人かのキーマンの方たちとの協働で後半の段取りはうまくいった。それに開催日が11月と、ほとんどイベント時期の最後。いわきから出演協力いただける団体も比較的余裕があったのだ。
 
今年は、肌寒さもあった昨年の時期から、一週間早めた。来訪されて頂く方のことを考えてのことだったが、パフォーマンスの部分ではそれが裏目に出た。郡山や会津でもイベントがあって、ほとんどの団体がそこにとられていたからだ。参加可能となっても、40名の団体参加可能とあったが、交通費宿泊費までの負担が大きい…
 
あれこれ、伝手や福島在住の縁故を頼り、なんとか福島県内からのパフォーマンスを27日、28日で組み込む。被災地出身のミュージシャンや被災地で演奏活動をしたミュージシャンなどもなんとか出演協力してくれることに。
 
これに反して、出店については、多数の参加をもらい、当初予定していたテント数の倍以上、物販関係だけで24テントにもなっている。協賛の関係では、あと2~3は増えそうだ。
 
しかも、土壇場になって、参加しようといういわきの団体が出てきてくれた。調整がつけば、アクアマリン福島の移動水族館を会場に設置できる!!
これは子どもたちは大喜びのはずだ。
 
しかし、これもチラシ、ポスターのゲラの時期まで調整がずれこみそう。しかし、それでも突っ込む形で、あと数日調整作業にがんばろうと思う。
 
何事もそうだ。最後のあと少しをやれるかやれないかで物事の質と内容が変わる。芝居でも映画でも、作品の最初5分はいのちだが、最後5分まできっちり力を抜いていないかどうかで、決まる。
 
チラシ、ポスターがあがれば、広報宣伝と追加の協賛、寄付金集め。あわせて、出演団体、出店団体向けの現地案内の資料作成とデータ配布がある。そして、保健所への届け。そして、イベントの進行台本の作成とメンバーの役割分担へと現場の段取りに移る。
 
個人的にも、団体としても、お金になることではない。見えない手出しの部分もある。
それでも、なぜ、福島の支援を福島と縁のない人間がやっているのか…
 
昨日、データをとりあえず、デザイナーに送って、メシ抜きだったからだに、コレドで酒をいれ、すいた腹に、乃木坂長寿庵の親子丼を入れ、事務所に戻ると、福島民報のKさんが先週末にやった、竹あかりのイベントの報告がFBにアップされていた…
 
久ノ浜の津波のとき、避難誘導を最後までやり、亡くなった市会議員の方の戒名が竹あかりの竹筒のひとつに書かれていたらしい。震災から1年半。東京で生活する人たち、それ以上遠くに離れた人たちは、次第に震災の悲惨やその後のやるせない時間を生きた人々のことを忘れつつある。
 
忘れてはいないかもしれない。しかし、震災直後のような思いは次第に薄れているだろう。と、昨晩、FMいわきのAちゃんが心配したことをいった。「秀嶋さんの気持はわかるし、オレたちもそうだけど…だけど、東京のああいう場所で、被災地のいまを語って、本当に聴いてもらえるのか…と思うんだよ」
 
オレはいった。「聞かなかったら、殴り倒してでも聞かせればいい。なにも変わってないことが福島にあるんだと」。Aちゃんは、「いや…それは…」と淀んだ。「いや、それは冗談だけどさ。大丈夫だよ。きちんと、ここからはマジ話するぜって前後のプログラムまで考えてやれば…」。Aちゃんはそうかな…という声なき反応だった。「それに、やっぱやらなきゃいんかんだろ。オレも、MOVEも、そのためにこの活動を始めたんだよ。来てもらう人には楽しんでもらう。けど、その芯はゆずっちゃいかんよ」。
 
オレの思いが伝わったのか、Aちゃんがいった。「秀嶋さんの映画のヒントになるイベントがあるんだ…29日と30日、いわきにこない?」。
 
当然いくさ。ということで、月末いわきへ。来月は、会津若松へIT関連の件でいく。そして11月は徳島でシンポジウム。自主作品がらみだ。
 
忙しさのストレスでいったんじゃない。身を削って、福島のことをやっていれば、気持ちは一層深くなる。オレの力などたしたことではない。仲間がいるからできる。そしてまた、オレがずっと支援を続けられるわけでもない。いずれは福島の人たちがこの事業をやるようになるだろう。
 
だが、やはり、「殴ってでも、聞かせようぜ」という気概は、時間が立つほどに必要なことだ…とオレは思っている。