秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ほんとのFUKUSHIMAモデル

人の出会いや思いの交流というのは、ほんとに不思議なものだし、それが初見から深く結びつくと、その後のあり方や姿まで決めてしまうことがある。
 
NPO法人になって、いろいろな助成金情報が入ってくるし、また、薦められたりもする。
 
うちの仲間がいろいろと熱心にやってくれていることもあるのだが、いくつか情報をもらった。しかし、東日本大震災後の企業助成金のほとんどが、被災地の団体や市民グループを応援するもので、東京やその他被災地外の団体が取り組みをやっても、それへの助成金はほとんどないに等しい。
 
理由はいわれなくてもわかる。手前味噌で、現地とのパイプやつながりがないまま、これを被災地でやりたいから助成金を頼むといった申請や現地でいろいろやっても、それが現地の人たちとうまくかみ合ってないという事業が結構あるからなのだ。
 
それなら、地元の自立という点からみても、地元の団体に助成した方が実情にも合えば、自立支援にもなる…という観点になる。
 
東京都も福島県への単独支援を始めているが、ここには、東京のNPOも絡めない仕組みになっていて、行政単位でのかかわりしかできないようになっている。
 
うじゃうじゃこれられても、困る。本当に継続的で、持続的で、いろいろな試練があってもそれを乗り越える気概やシステム、そして提案を持っているのか…ということなのだ。
 
MOVEがそうしたものをすべて備えているとは思わない。まだ、やっとスタートラインに立ってようなものだ。しかし、いわき市の行政を含め、いわき市の市民の方たちと直接交流を持てるようになったことは大きな財産になっている。
 
今回、会津若松市福島市とその会津地方、中通り地域の観光推進の協議会が、すぐに参加を表明してくれて、会津若松市が4テント、福島市が5テントの出店を決めてれたのは、その財産あってのことだ。時期的にイベントが重なる中、なんとかこちらの支援に応えようという姿勢が電話でやりとりしていても伝わってくる。
 
福島県内の団体でなければ、すんなり申請もできない実状の中、いまMOVEを助けてくれているのは、その財産そのものだ。いわき福島復興ビジネス協議会が、MOVEを受け入れ、こちらの協力要請に、嫌な顔ひとせず、それどころか、東京でがんばってもらっているのに、自分たちもがんばらなきゃ…と感謝までされて、尽力してもらっている。
 
海鮮卸の社長のOさんとの出会いがあの苦難のときなければ、こうなっていない。いまでこそNPO法人の看板があるから、いろいろなどころで話がすんなり通るところもあるが、当時は、任意団体で、実績ひとつなかったのだ。そのオレの話やいま事務局長をやっている弁護士のSさんの影の努力で、こうした縁にならさせてもらった。
 
今朝、ある大手企業の財団に申請相談と手続きについて面談してきた。その席に、急きょ、いわき市からOさんが駆けつけてくれた。担当者の前で、いろいろ経緯を話すうちに、不覚にも涙がにじんだ。あのときの苦労とOさんの出会いへの感謝で、少し胸が熱くなったのだ。
 
人はいろいろに思うし、いろいろに考え、いうだろう。そして、オレが目指す方向性や願いについて疑問を感じる人間も少なくはないだろう。だが、こうした出会いを肌で感じ、いまとこれからの福島のためにと苦しい状況の中で、前へ進もうとする人たちのMOVEへの思いや期待を感じると、それでも、この道を進まなくてはとつくづく思う。
 
目指すものの実現形は、状況に応じていかようにもできる。大事なのは、こうした思いを受け止め、形にすることだ。そして、それを「美しい福島」をつくり、生きようとする人たちに渡すことだ。
 
今日の面談でも話したことだが、いま取り組んでいる事業が本当の意味でラインに乗れば、そこからは、MOVEではなく、福島の人たちが中心になって進めていくようにすることだと思っている。NPO法人は脇役、陰役にまわり、主人公は彼ら。だれもそんなことは考えてはいないかもしれない。だが、それが本当のあるべき姿になる。
 
そのとき、初めてFUKUSHIMAモデルが誕生し、世界に発信できる。
 
少なくとも、オレはそう確信できる、いわきの人、福島の人と出会っている。