秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

開き直り

やることが多いときは、いつまでにこれを終わらせなきゃという気持ちを捨てること…
 
人あっての自分、回りの事情あっての自分…そう思えば、いつもまでにこれを終わらせなくては…と考えていたのが、自分だけの都合を人や回りに押し付けていたことに気づく。
 
そして、すべからく、いつまでにこれを終わらせなくては…というのは、それで終わりならなくても何とかなる。何とかなるどころか、終わらせなかったことが返っていい結果を導き出すということも少なくはない。
 
怠けることはいけないし、悠長でありすぎるのもよくないことだ。さらに、言葉にした約束は守らなくてはいけない。だが、物事、自分が思うほどうまくいかないことが普通だと考えた方がいい。そう考えると、人の事情や回りの実状、そして、自分の身勝手な点などをふりかえり、かつ、深く理解することもできる。
 
いま、あれこれあって、時間が足りない。気の急く決め事や段取りなどが連なっている。しかし、そればかりに目がいって、物事の動きの本質が見えなくなってしまうのはよくないことだと思っている。
 
高校の担任に進学指導のときにいわれたことがある。あれこれ将来のことについて話し合いをしたあとで、その教師が、ふとこういった。「ま、しかし。お前は、最後に開き直れるところがあるから、そう心配はしていないよ。お前の開き直りは大したもんさ」
 
誉められているのか、けなされているのかw だが、どうやら、それは誉めてくれていたらしい。なんでも、オレは開き直った後が強いそうだ。そうなったときは、やれないと周囲が思っていたことでやってしまう。その教師はそういった。どこでそう思ったのかは知らない。だが、教師にはオレの高校生活がそう見えていたらしい。
 
「だけん。ま、行きたいなら、受験すればいい」。結論はそれだった。オレにとっては冗談にしか思えない難関の大学受験だったが、決して、教師は他を受けろとか、やめろとはいわなかった。オレの最後の開き直りに期待してくれたのだろうw
 
オレが、英語の教師という道も人生の選択にあると考えさせてくれるきっかけはその教師との出会いだった。
 
オレは思う。開き直りなのかどうかはわからない。だが、劣勢に立たたされ、とても立ち向かえない力や所詮、そんな力で自分のやりたいことが果たせるかと人に笑われたり、バカにされたときの方が、人というのは力がでる。
 
ふざけんじゃねぇというなにくそ精神というのは大事だ。それが開き直りというなら、開き直りも悪くはない。
 
だれかにいわれてそうしているのではない分、場合によって、味方はだれもいないときもある。だが、周囲が自分を信じてくれないとき、あてにもされていないとき、ないくそでひとり立ち向かう勇気があれば、いずれ道は拓けるし、人も信じてくれるようになるような気がする。
 
きっとそこは、どこか狂気(意地)が潜むからだ。男は、やはり、意地と純情w