秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

不道徳教育講座を読み返してみるといい

以前、公式HPの中で、「美しい顔をした悪意」という評論を書いたことがある。
 
明確な基準のはっきりしない、正義や常識を盾に、社会から歪なもの、猥雑なもの、人間的なるもの、そぐわないものを排除し、自分たちの正義や常識に照らし、納得できる穢れのない美しい社会をつくる…という精神は、いわばその正義や常識、求める美しさと反するもの、異なるものを排除する、<透明な悪意>を伴う…というものだ。
 
自分たちの正義や常識からみて、明らかに他者が劣勢にあると見なした瞬間、無視という暴力によって社会の枠組みから排除するばかりでなく、無能なもの、余計なものとして差別のスティグマ(烙印)を押し、使い捨て可能な道具、入れ替え可能な存在として、その尊厳を踏みにじる。しかし、そのふるまいや烙印の押し方は、決して、あからさまではない。紳士的であり、社会的であり、善良さを出ない。だが、ある一線を越えさえることは決してしない。
 
それでいながら、影では、自分たちの様々な欲求のはけ口として利用する。それは、隷従的な労働条件や生活環境を当然とするばかりでなく、ストレスのはけ口であり、性的な暴力や性的なる存在として当然化させる。
 
いじめがそうであるように、一旦、尊厳を蹂躙し、その人格をおもちゃのようにもてあそぶ快感をえてしまうと、善悪の判断は麻痺し、劣勢にあるものをいたぶることすらも、自分たちの正義であり、当然の権利であり、それが教育であり、常識なのだという閉塞した世界を成立させてしまう。
 
そして、一度、スティグマされたものは、そのスティグマの世界から飛翔することができなくなる。隷従という立場に甘んじ、不満や不平を抱きながら、その関係がいつかエロス的関係になり、歪な相互依存の関係から抜け出すことを難しくさせるからだ。

いつもいうように、このスティグマ理論は、互いの類似性が高いほど、相互の競争心と軋轢、パワーバランスの変化によって起きる隷従関係と依存性は高くなる。それを変えるのは、容易ではない。当時者間の力では循環の輪から抜け出すことは難しい。大きな意識変革をもたらす運動やカクメイ、あるいはこうした関係を許しているパワーバランスを第三者の力や偶発的な大事件などによって崩すしかない。

日中韓に横たわる問題の根底には、実は、明治以後から、太平洋戦争の集結、解放、そして、今日に至る相互の歴史的経緯と政治的、経済的な変化によって生み出された、こうした生理的感情とそれを裏付ける足跡がある。
 
ところが、こうしたことを抜きにして、単純に、いま起きている事件、出来事だけをとらえ、それぞれがそれぞれの正義と常識をぶつけている。それぞれの国内で血気さなんに民族主義を煽る輩が現れている。
 
国内においては、この数年、民主党政権担当能力への不満から、揺り戻しが起き、いまの世界の基準からはほど遠い、かつての国家意識や国家観に基づく、閉塞した、大和民族の世界的優位性、民族主義的傾向を標ぼうする、オヤジ世代たちが台頭してきている。
 
いわく、透明な悪意を通り越して、<笑顔のファシズム>と呼ばれているものだ。憲法改正はもとより、対中国、対韓国、対北朝鮮に対して、強行に自国の正義と常識を押し通すという考えの人々だ。ただ、笑顔というだけあって、それが中国などの覇権主義となんら変わらないという自覚がなく、かつ、TPPや沖縄問題を含め、対アメリカについては、じつに弱腰だw

当然ながら、明治以後そうであったように、西欧主義に傾倒し、アジア蔑視とそれによる偏見が「維新」のときのままだからだ。
 
笑ってしまうのは、こうした歴史をつくってきた自民党までもが、まったく自己批判も反省もせず、あたかも、過去の歴史の蓄積に無関係だったかのように、政権を批判し、かつ、民族主義的傾向を煽っている。
 
あっちを向いても、こっちを向いても、国家主義民族主義…。一部、市民までもがそれを後押ししている。意志明確な連中の大方の世代は、50代前後から60代以上の、そろそろ時代の中心からはずれかけている連中。それに、政治意識や歴史認識の希薄な若い世代が引き込まれている。
 
いじめもそうだが、それを許してきた世代もそうだ。この国は、ほんとうにスティグマが好きらしい。アジアについては、まったくの無為無策らしい。てっとり早く、強権発動したいらしい。この国を戦火に巻き込む覚悟や自ら死地に赴く覚悟があってなら、まだその話も聞ける。だが、ロートルのオヤジたちにそんな覚悟のできているサムライなどいない。
 
いるなら、この国の政治と外交、経済、社会、文化教養は、もっとよくなっている。三島由紀夫の「不道徳教育講座」を読み返してみるといい。