秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

あの角の向こう

劇作家別役実のそう多くないテレビドラマの作品で「あの角の向こう」というのがあった。もう40年近く前の作品だ。主演は名優、故西村晃
 
うだつの上がらないサラリーマンがやっとローンで手に入れた家。しかし、リストラに遭い、それを家族にも告げることができず、また、再就職もできないまま、手をこまねいて、時間をただやり過ごす。「雨が空から降れば」という別役作詞・小室等の唄のように、毎日をぼんやりと公園のベンチで過ごし、事態は悪化していく。結局、経済的に行き詰まり、やがて、家にもいられなくなる。
 
どうして夫、父親がリストラされたのか、どうして、こうした事態になるまで何もできなかったの…これまでと同じように続くと思っていた日常が、どうしてこのような窮地に陥ったのか…その訳も、経緯も、そして、これからもわからないまま、家族は、リヤカーに家財道具を積み、夫、父親である西村晃がいう、新しい家、新しい仕事、新しい生活のある町へ向かっていく。
 
「ね、まだなの?」
「うん。もうすぐ、そこさ」
「もうすぐって…」
「さっきもお父さん、そういってたよ」
「うん…」
「うんって…」
「だから、もうすぐだよ。もうすぐ…。ほら、あの角さ。あの角を曲がった、向こうだよ」
 
当然ながら、あの角の向こうには、約束された新しい家もなければ、仕事も生活もない。戦争が終わり、復興期、そして高度成長期へ向かう中で、人々は、みなあの角の向こうへ行けば、これまでとは違う、新しい世界があると信じた。そして、現実にいままでになかった生活を手に入れた。だが、同じように、これからも、そう信じて生きていけるはずだったものが、同じようにはいかない…
 
同じようにいかないことで襲ってくる、ちぐはぐな風景。しかし、それにどう対応していけばいいのかが、わからない。どうしていいのかもわからない。いままで通用していたものが、まったく通用しない…それを目の前にして、すくんだように、立ち止まり、行き場を失っている。その日本人の姿を別役はそんなふうに描いた。
 
すべてが中流といわれた時代からの丁度転換点。1975年の頃のNHKの作品だ。
 
男っぽい気性の姉は、そのドラマをじっと見ている弟の横でいった。「ああ!…イライラする! 私、こういうの好かん!…煮え切らんっていうか、だらしないっていうか…!」。
 
そう。確かに、だらしない。別役の台詞の煮え切らなさ、あいまいさは、確かに、人をイライラさせる。竹を割ったような性格の姉に、芸術的にそれを理解せよというのはムリw だが、その独特の音感は不思議と人をドラマの世界へ引き込む力があった。
 
別役実が、早稲田の自由舞台にいた頃、アーサー・ミラーの「セールスマンの死」に強い影響を受けて劇作の世界に踏み込んだことはよく知られている。また、カフカや安倍公房の影響も受けながら、独特のセリフ術で独自の世界を開示した。それができたのは、世の中の現実が、かつてのように一枚岩でもなく、たったひとつの価値観で押し通せるほどたやすい時代ではなくなっていたからだ。時代は不安の時代へ突入しつつあった。

いま、世の中の多様化とそれがもたらす過剰流動性は、より以上に拍車がかかっている。そして、不安も増大している。昨年の大震災とその後の復興の困難さも、この多様性と過剰流動性という大きな壁と並走している。
 
だが、いや、だかこそ、人は、思いたい。あの角の向こうにいけば、きっといままであった生活や世界の場と時間があるのだと…。しかし、それは別役が描いたように、立ち向かいようのない現実の前に、いまを凌ぐよすがとして、そこにただあるだけに過ぎない。そして、その現実が突きつけられると、若かった姉のように、イライラし、竹を割ったようなはっきりした回答を人々は求めたがる。

しかし、いまこの国やあるいは地域が、そして人々が直面している課題はそうした簡単な議論の構図で片が付くほど安易なものではない。
 
過去の何かをただ守ることでもなく、立ち行かない現実にただ向きになって口角泡を飛ばすことでもなく、あるいは、何かをスケープゴートにしてしまうことでもなく、あの角の向こうを信じるしかない人々に、それに代わる明日への道をいろいろな場と機会を通して提案し続けることだ。こうすれば、こうなる。だから、こうしろ…ではなく。
 
事態はそれほど簡単でないことは、じつは、あの角の向こう…と思いたい、今回の震災で被災し、あるいは原発事故被害を受けている人々の方がはるかによく知っている。