秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

何をめざし、どこへ行くのか

オスプレイの試験飛行の場所になっている岩国基地のある岩国、そして配備予定の普天間基地、沖縄で反対運動が大きくなっている。

民間から異例の器用をされた新防衛大臣の強行姿勢と対応のまずさもあって、実戦配備についてアメリカの事故調査結果や実戦配備計画を鵜呑みにする政府のていたらくが不信感を募らせた。
 
オスプレイの開発と海兵隊への導入については、時々のアメリカの政権が軍需産業と裏取引をしていたのではないか…という疑惑がある。恐ろしく開発に時間がかかり、途中、開発中止の政策決定も出ながら、亡霊のように復活する。開発途中から事故や障害があり、かつ配備されてからも事故が続いた。
 
にもかかわらず、国防総省は導入と配備の方針を変えなかった。そして、政権も後押している。どうもおかしい…そう感じるのが一般的な感覚だろう。
 
原発の問題にしても、歴史的にふりかえれば、アメリカからの導入圧力によって日本の原発は始まっている。当然、日本独自の核エネルギー再生利用システムという原発開発は途中で反故にされ、アメリカが開発した原発稼働システムが日本に導入されている。ここでも、アメリカの原発産業、原子力産業の利害と権益が絡んでいる。
 
この国は戦後66年、アメリカ主義という偏狭な政策意志決定の中に生きてきた。そして、アメリカの圧力に対して、時々の政権がその重圧に負ける、あるいは、率先して、アメリカの傀儡になることを選択してきた。その度にいわれたのは、日米安保条約だ。国防の要をアメリカに依存している以上、日米安保の有効な活用と日米双方の相互理解が必要である…。
 
つまりは、日米安保なしに、この国の国防と安全は保障されていない。それを疑うこともせず、自明として、軍事、外交、経済、そして政治が成り立っている。経済においては、それを日米安保をいわず、グローバルスタンダードと言い換えている。
 
政権が中国や韓国、アジア諸国との連携を深め、日米安保の縮小化、アメリカ主義から一定の距離を置こうとすると、必ず、アメリカ国内、または、日本国内から政権を崩壊させる情報がリークされる。
 
田中角栄しかり、民主党政権誕生後すぐに起きた、鳩山、小沢の検察からの捜査…脱アメリカとなったとたんに政権は首が挿げ替えられるか、転覆している。
 
多くの人たちは忘れている。安保条約が調印されたとき、吉田茂が自分のサインしか書面に記さず、当時の政府関係者にはサインを意図してさせなかったことを。そして、後進を行く者に、いずれこの条約を破棄するように言い残したことも。
 
吉田茂鳩山一郎など、戦後処理、復興の国政を担った政治家のあとを受け、新しい国家づくりへと向かう時期、最初に総理になったのは、脱アメリカ主義、小日本主義石橋湛山だった。だが、就任わずか2ヵ月で病魔に倒れ、その後復帰したものの、そのあと政権を担ったのは、A級戦犯でありながら、徹底したアメリカ傀儡主義の岸信介だ。GHQは、言いなりになる岸を高く評価していた。
 
以後、この国はさきほどいった脱アメリカ政策を打ち出そうとした政治家や政権をつぶしながら、極東アジア黄色人種の国でありながら、まるで飼われたサルのように、アメリカを真似、そして、偏狭なアメリカ主義を世界だと理解し、教育も、経済も政治もそれが当然であるかの如く運営されている。沖縄の基地問題をもちだすまでもなく、日本は所詮、独立国家などではない。
 
いまでも極東アジア黄色人種は自分たちがまるで欧米の人間であるかのようにふるまい、そして、彼らの大半がそうであるように、中国・韓国を始め、アジア諸国の人々を差別と偏見からしか理解しようとしない。そのようなまなざしにさらされていて、アジア諸国が相互理解のために、歩み寄ろうとすることなどありはしない。
 
現政権と自民党、さらには、風見鶏の公明党もこの戦後66年の猿まね政治を、いま同様に推進しようとしている。そのことによって、奪われる国民生活の不安と犠牲。さらには、いま被災地が抱えている多くの課題を置き去りにしてまで、飼われたサルの政治を進めているのだ。
 
日米安保に頼らない政治、経済、国のあり方は何なのか…その大事な議論をこの国の政治家も国民も本気でやってきていない。オスプレイにせよ、原発にせよ、消費税増税にせよ。所詮、この国政権が判断し、結論を出せることではないのだ。それは民主党であろうが、自民党であろうが、公明党であろうが同じ。本気でこの国の独立を考えていない連中がいま政治の舞台にいる限り、まともな議論などできるはずがない。
 
原発反対、オスプレイ反対、消費税増税反対…反対する者たちも、その向こうにある、この国をどういう国にしたいのか、すべきなのか、そして、その壁として横たわっている日米安保という足かせをどうすべきかのか、足かせをとったとき、自分たち国民は何をめざし、何を引き受け、何と連帯してくのかを考えなくてはいけない。