秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

山水に得失なし 得失は人の心にあり

身に起きる不具合、不都合、予期せぬ試練を人は、何かのせいにしたがる。
 
たしかに、この世の中には、理不尽なことも多い。道理の通らないことも多い。そのために奪われる人権もあれば、蹂躙される尊厳も少なくない。だが、それは結局、人の損得、利害と高慢が生んでいることが大半だ。
 
つい先日発表された国会の原発事故調査報告書。そこにも、今回の津波による原発事故が人災であると言い切っている。想定外という言い訳を許さない、まともな報告書になっているのはせめてもの救い。

昨日のNHK震災特集でも報道していたように、いま、被災地は総量2000万トン以上という瓦礫処理の問題が地域復興、再生、そして新生の大きな壁になっている。しかし、瓦礫処理の問題がなければ、いま各被災自治体が国からの予算をあてにして取り組もうとしている防潮堤計画はより進んでいただろう。
 
だが、実際には、専門家の間では、防潮堤の津波被害抑止効果については疑問視する声が少なくない。また、これまでのようなコンクリートと鉄骨で固めた防潮堤が実は、津波に脆いことも指摘されている。波を遮断するというこれまでの防潮堤の考えから、波の高さを減少させるのが防潮堤の役割という考えへ移行しているのだ。
 
津波を完全に遮断しようという発想は、津波との対決姿勢から生まれる。だから、津波に負けない強く高い防潮堤をつくるという発想になる。だが、人が想定できる波の高さ、強さに絶対はない。
 
現在、進められている防潮堤が次にくる津波被害に対応できるという保証はだれにもできない。これは、まさに、津波に対して原発は安全対策がされている、してきたという、これまでの発想とまったく同じ。それが、事故発生当時、想定外という言葉になった。
 
津波という自然の力を敵とみなし、それに対抗するために、人智の力で及ばない自然に対して、こうだろうという想定し、これで大丈夫とそれ以上の安全を怠る。自然の力を止めるために、いまできる最大の防潮堤をつくる。それは、果たして、真摯に、そして謙虚に自然災害というものと向き合う姿勢といえるだろうか。
 
その裏には、公共事業である防潮堤建設に早く取り組んでもらいたいという地元建築業者の要望もあるだろう。同時に、大規模になればなるほど、現地では対応できず、地元業者に許認可申請をやらせ、実際の工事を大手ゼンコンが請け負うという土木建築業界のしくみが働いていることもあるだろう。しかし、それも、どこか原発推進の構造と似ている。
 
三陸沖に発生した地震は、東日本大震災前、明治以後、以下のようになる。
 
明治三陸地震
1896年(明治29年)6月15日 M8.2~8.5 津波38.2m 死者行方不明21,959名
命名なし
1897年(明治30年)8月5日  M7.7     津波3m
昭和三陸地震
1933年(昭和8年)3月3日   M8.1~8.5  津波28.7m 死者1,522名不明者1,542名
十勝沖地震
1968年(昭和43年)5月16日 M7.9          津波6m   死者52名
三陸はるか沖地震
1994年(平成6年)12月28日 M7.6     津波0.5m  死者3名
 
これ以前にも、伊達政宗の時代、大規模地震を経験し、その記録は実は三陸沿岸にも遺されている。沿岸部への定住を禁止した政宗の書面もある。しかし、明治以後、近代化によって、津波とは対峙するという発想が普通になる。堤防や柵を設けることで、被害は免れるはずという発想に変わっていった。
 
所詮、人間も自然の一部に過ぎない。津波を起す海、地震を生む自然の力…それらを駆逐するという考えは、人間が自然の一部であるとするなら、これほど不遜なことはない。原子力によって、生活をより豊かにしようというのも同じ発想だ。
 
自然とどう共存するのか。自然の中の一部として、人は自然とどうかかわり合うべきなのか。損得と利権、利害、権益に縛られて、自然と共にある道を探すことなどできるはずはない。
 
臨済宗夢想国師の言葉。「山水に得失なし 得失は人の心にあり」。