秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

共感覚が社会を変える

男女の関係から始まり、親子、夫婦といった家庭から、地域、社会、そして国家、世界といったのものを考えるとき、これまでのルールやとらえ方の作法、考え方を変えていかなければならない時代を迎えている。
 
それはときとして、社会学統計学から男女のつながりを考えてみることであり、精神病理学的に家庭を検証することでもある。また、経済や政治を社会システム論で見直すことでもあれば、人間の性的な分析であったり、宗教学や生活様式にかかわる歴史や精神文化、性や生き方や考え方の作法といったものにも及ぶ。
 
では、これまでとは違う視点や視座、規定のルールや言葉から自由になり、まるで普遍であるかのように誤謬していた世界を違った眼と脳でとらえ直し、これまでにない言葉や信号、記号でそれを人々に伝えていくには何が有用なのだろう。
 
「クロースアップ現代」でも紹介されていたが、いま、TED(テクノロジー、エンターテインメント、デザイン)というプレゼンテーションショーが話題になっている。1000人以上の観衆を前に、18分という制限時間の中で、自分の得意とする分野における新しいアイディアを紹介する。
 
そのアイテムは、様々。教育について語る者もいれば、ITに関連する新しいアイディアを提供する者もいれば、社会の創造性について分析するものもいる。
 
そして、これをネットで視聴したり、観衆として来訪する人々は、特段、その専門的な知識や教養が得たいためにそこにいるのではない。自分の専門とする分野とは全く違う分野の中にある、発想の自由さとおもしろさに共感し、それをまた自分の世界の刺激としている。
 
つまり、自分が知る世界、自分が体験的に自明としている世界を別のチャネルとコンタクトすることで自分自身が縛られている規定の構造から脱却するためにそこにいるのだ。
 
これを翻訳すると、こうなる。ひとつの言葉、ひとつの分野、ひとつの提言が発するひとつの信号を自分の世界の信号と同期されることで、そこにまったくちがった世界を読み解くフィルターを探し、これまで自分の中で流通していた言葉や知識、経験の常識を越えようとしているのだ。
 
たとえば、共感覚(synesthesia)の人がいる。彼もしくは彼女は、文字に色を感じ、形に味覚を感じ、数字に色を感じることができる。こうした感覚を持つ人にとって、文字は文字としての意味性を越える。形や数字は、一元的な空間から多元的な世界へ変わる。その特殊な世界の理解のしかたは、当然ながら、共感覚を持つ人に、特質して何かを習得する能力も高めている。
 
モーツアルト共感覚だったいわれているが、モーツアルトの曲が自然関数と同じ数式を持っていることはよく知られている。彼は、自然の音を譜面という数式に置き換えることで天才だったのだ。共感覚の人は、常人にはない、秀でた能力を持つ人が多い。
 
これを数学的にとらえることもできるだろう。当然、音楽的にとらえる専門家は多い。また、音楽を越えた、世界を解くヒントと考える人もいるに違いない。
 
いまの社会に必要なのは、そうした感覚で男女の関係から家庭、地域、社会、国家、そして世界をとらえる知覚と知見を持った人だ。それは当然ながら、日本の教育の中では排除されてきた感覚でもある。教育を変えようと戦前懐古的、民族主義的な規律性を求める姿がいかに愚かであるかは、そこにある。
 
おかしな人、おかしなことをいうがおもしろい発想といままで聞いたこともない発想でものを語る人…複眼的な視点と交錯したフィルターを持ち、すべてにおいて十全ではないが、少なくとも、自分が知りうる固定した考え方を打破する力。
 
それを求めて、人々が発想の大転換ができるかどうかにすべてはかかっている。だが、それは、これも不思議なことに、すでにこの国の歴史において忘れられつつある、時代の傍流、つまり、社会から排除されたきた人々の中にすばらしく知見できるのだ。