秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

やだ

深夜の2時前後に眠り、朝、6時に起きても、一日の時間が短い…と感じるようになるのは歳のせいなのかw いやいや。30代の頃はほぼ毎日、そんな状態が続いていた。一日が48時間あればとマジで考えていた。
 
人の働き盛りというのは、いつのことをいうのだろう。

ここにきて、思いのほか忙しいのは、いうまでもない、昨年から特定非営利活動法人を仲間と始めたからだ。それは加速度を増している。
 
いま、オレは人に会うとき、二つの名刺を渡している。どこで、どういうつながりで、MOVEを応援していただけるかわからない。その思いがあって、ITセミナー前につくった名刺を新しく出会う方にはお渡しするようにしている。

基本、名刺を何枚も持っている人は信じないw それがいまではそれを自分がやっているw しかし、これからの時代、怪しい人もマジな人も含めて、そうした人が多くなっていく。現実には、たまたま名刺をつくっていないだけで、いつくもの所属や顔を持つ人は少なくはない。
そして、所属のあり方も、名刺があるからといって縛りのきついものではなくなっている。
 
少し、難解な言い方になるが、社会的な所属の多様性、それは、社会学的にいうと「多元的な帰属」ということになる。これは、もう10年ほど前からいわれたきたことだが、いまでは、それが多元的から重層的、複合的になり、かつ、オレがいう「意識共同体社会」にまで進展しようとしている。

人が一元的な社会的帰属しか持たない、あるいは持てない場合、人は、失敗や挫折を乗り越えるのが容易ではなくなる。自分が帰属する社会での価値観、簡単にいえば、物差しをひとつしか持てないからだ。それは世界を狭めてしまうだけでなく、何かの問題や課題にぶつかったときに、ひとつの方法論でしか脱却を見いだせなくさせる。結果、脱却できないことで、社会から撤退するか、スポイルされてしまう。いわく、「あいつは生き残れなかった」
 
だが、「あいつは生き残れなかった」という物差しは、広い世界からすれば、実に不幸なことに、わずかな単元の帰属の枠組みでしか通用しない閉鎖的で、偏狭な物差しにのっかっていられるからだ。つまりは、世界に対して排他的で、無知だからに過ぎない。

それを抑止する方法として、いろいろな場、たとえば、家庭教育や社会教育、カウンセリング、あるいは企業内教育の中で進められてきたのが、多元的な帰属を持つ試みだった。
 
家庭の中で、母子だけの世界にいるのではなく、ほかのお母さんたち、あるいは家族と接する場をつり、閉鎖してしまう家を外へ開こうとする取り組みもそのひとつ。一人暮らしの高齢者に少しでも社会的関わりを持ってもらおうとする地域の取り組みも同じ。企業において、企業内時間以外の時間を持つように福利厚生を立て直したり、起業家支援を行うのも同様のことだ。
 
だが、それは図形で例えれば、一次元かせいぜい二次元の世界での取り組みでしかなかった。つまり、立脚しているのが、いま所属している社会の枠組からそう飛躍した世界ではなかったのだ。ゆえに、そこで起きる問題や課題、たとえば、孤立や撤退、逆にいえば、ひとつの物差しにのっかったままの無知さを変える力にはならなかった。
 
そこで、より多元化を図るために、重層的、たとえば、年齢や世代を越えたつながりや複合的、たとえば、いくつもの社会的帰属、バリエーションを増やすという試みがされた。しかし、結局、それも現実の帰属社会を越えるものにはなっていない。なぜなら、そこに人々の多くが、物理的にも、精神的にも、有形無形にかかわらず、実益を求めてしまうからだ。実益のみを求める帰属の重層化、複合化は、現実の帰属を補完し、強化することさえあれ、人々を新しい地平、つまり、新しい物差しへ導くものではない。
 
それは多様性と過剰流動性を呼ぶことはあっても、何かを生み出す力ではなく、人々を返って、疲れさせ、確かな物差し一つ持てない自分への自信喪失と孤立、そして不安を呼んでいる。
 
いま、オレたちの社会はこうした限界にも直面し、試行錯誤を繰り返してる人々の中には、これを越えるには、現実の帰属からより自由であることが必要なのだ気づき始めている。それが、オレのいう「意識共同体社会」の端緒なのだ。一次元でも、二次元でもなく、これまでなかった三次元、四次元へと広がる新たな帰属。
 
すでにEUでは、今回のギリシャの問題、スペイン、イタリアの経済破たんを踏まえ、合衆国制への検討が始まった。つまり、国境という平面的な図形からより自由になることで、多元的社会から意識共同体社会へと変貌しようとしているのだ
 
なんてことを提言し、かつ、実現しようとすれば、当然のように忙しくなる。働き盛りの30代、50代なんて言葉があったが、どうもそれはオレには当てはまらないらしい。
 
昔、複数の友人にいわれたことがある。なんかさ…走るだけ走って、バタンって倒れそうだよね。そのときに、オレはいつもこう答えていた。「そのときは、前のめりに倒れる…」。龍馬の言葉だ。ジョークで笑いをとるつもりだったw でも、みんな、静かに、納得したように頷いていた…。
 
やだ。