秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

その先のその先

物事を進めていくのにはタイミング…というものがある。同時に、物事をまとめていくためには、人の出会いというパズルをどううまく組み合わせていけるかにかかっている…
 
これまで、舞台で芝居の公演をやるにせよ、イベントのプロデュースをやるにせよ、そして、映画や映像の作品をつくるにせよ…何事か自分の表現したいと思うものをつくりあげようとするとき、それを常に痛感させられる。
 
孤立した表現者としてではなく、人の力を借りて作品をつくりあげる、舞台やイベント、映像というのは、この課題からは逃れられない。それは、企業におけるさまざまなプロジェクトにおいても同じことだろう。
 
これまでと同じものをつくりあげる…ということが基本的にオレのような人間たちには許されていない。扱うテーマが同じだったとしても、そこにおける表現は視点や角度、方法を変えていかなかれば、つくり手もそれを見る側も満足いくものにはなっていかないような気がする。表現における個性は別にして、題材が変われば、その題材に応じた描き方というものがあるからだ。

いまオレが資料や取材の中で、うちの自主作品や映画としてまとめようとしている世界も、かつて、オレが東映作品やうちの自主作品として制作してきたものの題材やテーマと同じものがある。しかし、そこにもうひとつ新しい視点、もうひとつ別の世界がないかと…脳が腕組みしながら、あちこちを飛び回っている。とりわけ、いまオレの強い関心は地域と人だ。
 
今月中に決めなくてはいけない市民祭の日程やそれへ向けた仲間や人々の協力の輪をとりつける…という作業は、ある意味、オレの脳が、ふらふらとあちこちを飛び回る中のひとつの立ち寄り先。そこでの話し合いや情報が、特定非営利活動法人MOVEの活動ばかりでなく、オレ自身の映画制作者、物書きとしての自分にひとつの拠り所を与えてくれ、かつ、オレのつくろうとしているものへの批評にもなっていると思う。
 
すべてがうまくいくことばかりではない。だからこそ、オレ自身の考えが鍛えられる。おかしいところがあれば、修正することも、一から見直すこともできる。
 
早く、作品をまとめなくては…という焦りがないわけではない。多くの人が信じないが、オレはもうすぐ60歳になる。それまでに過去の作品「あの河を泳ぎ抜け」と「流転」にそん色ない作品を一作品でも仕上げておきたい。書きかけの小説2作も終わらせておきたい。が、しかし。それも、天のとき、地の利、人の輪…があってこそ、できるものだろう。
 
もう4年ほど前、短い期間だが、付き合っていた女性からいわれたことがある。「人の相談や世話ばかりしてないで、書きなさいよ。時間の無駄じゃない!」。ぐさりと来た。だが、それはオレにはできない。自分の眼に見えた理不尽さや不条理は、捨て置くことはできないからだ。眼の前に、怪我をし、困窮している人を前に、素通りすることはできない。
 
そのために、自分の何かが遅れ、場合によってはそれを形にすることなく、終わったとしても。それをしていては、自分の表現に誇りは持てない。見捨てて何かを形にするより、見捨てないで形にできなければ、それでいい。だが、きっと、その先に、形にできるときがくると信じている。