秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

過去の遺物は必要ではない

社会のリソースが手軽に手に入れられた時代。路地の井戸端会議や商店街での雑談で、子どもの教育から親の介護のまで、地域のどこにいけば、どういうサービスやサポートが受けられるかを人々は知ることができていた。

また、人々が求めるサービスやサポートも多くは一致しており、個別性も高くはなかった。一応にだれもが経験する生活課題は、だれもが経験する生活課題であり、経験の伝承があれば、多くは事なきを得られたのだ。
 
しかし、隣近所の付き合いが浅くなり、地域の情報交換の場である商店や商店街がなくなっていくと、地域行政が提供する生活サービスの情報さえ、家庭や個人に届かなくなる。人々の流動性によって、街には流入する生活者も増えた。それによって、また、求められる社会のリソースも多様になった。
 
地域の継承体験が社会のリソースとして有効ではなくなれば、当然ながら、そこに人が集まり、情報を交換するという機会の動機づけを失う。結果、他者への無関心が日常となり、地域という共同体のしばりは緩む。共同体や地域という枠の中にありながら、その姿は「弧」の集合の弧衆でしかなくなる。
 
つまり、現実の生活空間だけで、日常生活を賄えるという時代が終ったのだ。

いま多くの人がパソコンや携帯、スマートフォン、そしてタブレットという情報ツールをつかっている。しかし、多くの人々は気づいていないが、これは情報ツールではなくなっている。現実の生活空間の賄えなくなった日常を現実の時間や空間を越えて、獲得しているのだ。つまり、ツールではなく、ITネットワークそのものが現実の不足を補完する現実空間に変貌している。
 
ソーシャルネットワークはその誕生において、それを意識してはいなかっただろう。だが、SNSが登場し、人々はそこに日常より以上の日常があることを知った。
 
意識するとしないにかかわらず、いま人々は、現実の生活空間ではなく、ITネットワークでつながった意識空間を現実の生活以上の共同空間としようとしている。現実の共同体の脆弱さを意識共同体が支える…
 
ITが登場したときとは、逆転した構図がいまオレたちの生活に拡大している。このことにいち早く気づき、意図的、意識的に第4空間を構築できるものが、次の地域、社会、国の未来を築けるといっても過言ではない。
 
過去と同じこと、同じ発想、同じ視点では、政治においても、経済においても、文化においても、何ひとつ直面する課題に答えは出せはしない。大胆な発想の展開と国家の枠組みそのものを変えるしくみこそが、必要なのだ。そこに維新などという過去の遺物は必要ではない。