秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

雨のにおい

雨のにおい…かつてはいろいろな文学の中にそうした表現があった。
 
しかし、古い木造家屋や建物がなくなるにつれ、雨のにおいは人々にとって共通言語ではなくなっている。
 
時代の変遷と生活の変化は、人々から生活のにおいを奪う。すべてにおいは忌み嫌うものとして遠ざけられていくからだ。
 
カビ臭い図書館のにおい、しけった生活のにおい、もっといえば、体臭というものさえ、人々は遠ざける。それはたとえば、父親のコートにしみついた汗とたばこのにおいとか、母親の化粧のにおいとか…人が生きる性的なにおいを遠ざけることだ。

性的なにおいを遠ざけた世界…それは人をお行儀のいい正義にしか導かない。生活と無縁の正義…それをかざすことが美しいことのように、世界を席巻する。
 
オレのわずかばかりの人生の中で、雨のにおいにはいろいろな生活の思い出がある。なぜなら、雨のにおいのある風景は、人のいる風景だったからだ。
 
「また、ひどい雨になっとりますな…」といいながら、縁側の向こうを通り過ぎる近所の人がいる。「たいへんですね。お気を付けて」と声をかける向こうに行商の人がいる。
 
しっけった家のふすまや障子戸がしまらなくなることで知る、湿度というものの姿を見ることができる。
 
そんな生活のにおいのしない、きれいで、美しくつられた世界にいて、人の真実の何が見え、何が理解できるというのだろう。