秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

創造のダイナミックス

劇団をやっていた20代の頃、ユング派のイギリスの精神科医アンソニー・ストーの『創造のダイナミック』(晶文社刊)という本を読んだ。それはいまも相模原の家の書庫にある。
 
芸術やその創造者であるクリエーターの内面の姿を的確に分析した最初の書籍といってもいい。それまでも芸術がエロス(生への欲求)とタナトス(死への欲求)という両極のエネルギーの葛藤から生み出されるものだということを多くの哲学者、思想家がとらえてはいたが、それを心の内面に光を当て、系統だてて、わかりやすく解説した本はそれまでなかった。
 
芸術に限らずだが、何かアイディアを必要とする作業をやるとき、人には日常とは別の時間が必要になる。アイディアというものは、ある意味非日常。それを生み出すのに、日常の時間や空間のしがらみに絡め取られていては、日常ではない何かをつくり出すことはできない。
 
簡単にいうと、日常の時間や空間から見ると、まるで生産性のある何ごともやっていないように見える時間と空間が必要になるのだ。

人とのつきあいや交流という時間や空間から撤退した時間、いわばひきこもりのような社会から逸脱した時間と空間がないと、人は日常から抜け出した着想を持つことができない。ストーは別の著書でいっている。
 
「人間関係はたいへん重要なことに違いないが、さりとてそれが人生における唯一のことではなく、それと同様に、孤独がこの世に存在するうえで重要な役割をはたすことを述べようと思うのである」
 
ストーの本を読んでいるとこの人は仏教学者ではないのか…と思わせるところがある。禅に見られるような内面の自我との対話を通じて、無我という宇宙へとたどりつく根本仏教の教えをよく言い当てているからだ。

いま連休真っただ中、今朝は高速道路で悲惨な事故があったが、この時期、家族サービスで、カップルで、仲間同士で…といろいろないつもの時間を楽しんでいる人々がいる。しかし、何か企画や商品販売のストーリーづくりを前提とした仕事をしている人は、連休も平日も関係なく、きっと思考はめぐっている。
人波に流されることなく、人の賑わいを楽しむこともなく…

しかし、ふと考えれば、ずいぶん長い間、人は経済的に豊かになるために思考をめぐらすことはあっても、新しい何かを生み出すために思考を深める…ということをやってきてはいないのではないだろうか。
 
新しい何かを生み出すために思考を深めることは、いま必ずしも、豊かさとはすぐに結びつかなくなっていっているからだ。すべてがアートを目指しているわけではないのだから、それは当然といえば当然。しかし、これからの時代は、単にこうすれば、こういうストーリーを画けば金儲けになる…というだけではいかないような気がしている。
 
新しい未来の姿や目標となるようなものが、それがたとえ人々の物質的な豊かさとは違うものであっても、必要な時代になっている。そこに求められるのは、思考をめぐらすことではなく、思考を深め、孤独という自己への問いかけを通じて、宇宙へつながる世界を見ることではないのだろうか。