秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

役を育てるつつましさ

どうだろう…と思ってみた昨夜のテレビ。このところドラマなんぞほとんど見ないのだが…。テレ朝にしては珍しく、『Wの悲劇』よいではないか。
 
エラリー・クィーンの推理小説シリーズ「X」「Y」「Z」の悲劇のオマージュとして、夏樹静子が書いた小説が原作。だが、薬師丸主演で角川がやった作品とは、ストリーが違う。大きく脚色され、ある意味、オリジナルに近い。
 
武井咲という女優。久々の大型女優。実は、初主演になった、テレ朝の深夜帯の「アスコ―マーチ」を見て、これはすごい女優が出てきたと思った。芸能系にはまったく興味のないオレは、武井がオスカーの全国的美少女コンテストで中学生のときにモデルとしてデビューした云々は知らなかった。
 
しかし、気の強さと清楚さ、そして、汚れ役も辞さない根性は、最近の若手女優にはない本格派女優のオーラがある。何よりもダントツに美しい。つくられた、遠い美しさではなく、男女に関係なく、多くの人が望むあるべき外見の美しさがある。ま、簡単にいえば、凛としている。
 
中学時代くらいから注目される、才能のある若い子というのは、ヤンキーが多いw佐々木希しかり、ちょっと歳はいったが田中麗奈もそう。いい子、いいお嬢さんでは磨けないものが、タレントや女優にはあるのだ。武井もそうらしいが、それがいままでの連中を越えて、並みではない。
 
通常の感性では、19歳という若さでテレ朝のゴールデンの主役を張れるものではない。上戸彩以来らしいが、女優として、はるかに凌駕している。
 
今年、大手ブランドのGUCCIが専属モデル契約をして話題になった。日本人の女優としては初の快挙だ。ドラマにせよ、このモデル契約にしろ、オスカーというプロダクションの力があってのことだろうが、ゴリ押しでも、それをしたくなる周囲の気持がわかる。高いハードルを与えれば与えるほど、それに応えられる力がある女優だ。
 
この間、東映のKプロデューサーと話しをしていて、本格的な女優、男優がいないという話になった。テレビと映画の境界線が限りなく薄くなり、いわゆる銀幕女優や男優というのは遠い死語になった。スターシステムはとうに終っている。それはそれでいいこと。俳優の仕事というものが本来のあり方に近づいたともいえるからだ。
 
しかし、それでも、やはり、本格派というのは、どこかにきちんとつくり上げておかなくてはいけない。いい作品をつくるためにも、いい監督、脚本家を育てるためにも必要。また、そうした本格的…といわれるものがあってこそ、メジャー以外のステージでいい作品やいい役者も生まれてくる。小劇場から東宝の演劇にいたとき、それは本当に痛感した。
 
映画や舞台の世界に限らず、会社や組織、あるいはスポーツの世界でもそうだが、あるゲートをくぐった瞬間に、一気に能力を開花させる奴がいる。なにがしかの「役」=使命感を持つことで、人は変わるのだ。また、そうなることで、周囲の見る眼や対応が変わる。それが、また、その人を次のステージへと押し上げていく。多くは、それは周囲の力によってつくられるものが多い。
 
その力と出会える人であること…それが本格的な…という言葉に飾られるわずな人間のことだ。
 
いまのこの国には、その本格的な…という修飾がつけられる人が社会のいろいろな「役」の中にいなさすぎる。そうあろうとすると、足をひっぱり、アラ探しをしたがる人間が多すぎる。
 
役を育てる…そのやさしさと謙虚さ、そして、つつましさが必要だ。
 
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