秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

僕の生きる道

だいぶ前のテレビドラマで、「僕の生きる道」というのがあった。いまでは、押しも押されぬ脚本家橋部敦子出世作。いまリバイバル放映されている続編の「僕と彼女と彼女の生きる道」も高い評価を受けた。その前哨戦は「スターの恋」。最近では「フリーター家を買う」も高視聴率をとっている。
 
この作家、昨今のテレビドラマと違い、きちんと社会の現実に眼を向け、親子、家庭、学校が抱える問題を実に的確に織り込んでいる。
 
もちろん、テレビという制約があるから、スポンサー企業や大手プロダクションとテレビ局との駆け引きもあり、いわゆる作家のように、自由に本がかけるわけではない。テレビの脚本家というのはメインライターにならなければ、作家性のある作品など書けるチャンスなどない。しかし、その制約の中で、きちんといまの社会が抱える問題、歪さに提言する内容になった作品になっている。
 
そこに登場する主人公やその周辺の登場人物に共通しているのは、いい子であること、いい学校へ進むこと、いい会社に就職することが人の幸せの基準であり、そのレールからはずれることは落ちこぼれか、社会的に価値がない存在になる…という考えを持っていることだ。
 
しかし、実は、人と交われば、いい子であろうとして、いい子になれない現実がある。いい学校に進み、いい会社に就職し、バリバリ仕事をこなしていれば、人生のすべてがうまくいくわけではないという現実がある。
 
もっと始末に悪いのは、いい子ではないのに、いい子を演じてしまう脆弱さであり、いい学校に進みながら、そのコミュニケーションの輪に入っていけないまま閉じてしまった人間の孤独であり、いい会社に就職しながら、そこで窓際扱いされながら、それでも外では見栄をはる、人の愚かさだ。

そして、より最悪なのは、そうしたレールからはずれながら、どこか自分には教養や知識が備わっており、競争社会の現実がわかっていると勘違いし、逸脱しながら、羨望の裏返しで権威や知名度にこだわる
おバカだちだ。
 
こうした人々につきまとっているのは、不安とストレス。一つしか生きる価値基準を持たない結果、常にどこかで怯え、不安とストレスが逃れることができない。
 
その現実に直面し、世の中の歪さに気づき、自分が自分であるために、つまりは幸せであるために、縛られていた一つの基準から自由になろうと歩み出す…というのがこの作家の一つのドラマの展開になっている。
 
しかし、よくありがちな家庭や職場、そして生き方の問題をとらえながら、本人が意図しているかどうかはべつにして、いわば、この国が持つ大きな軋みを射抜いている。そして、それに立ち向かうために、まず親を含めた家庭の教育の立て直し、教師を含めた教育の立て直しが必要なのだとどこかでメッセージを送り続けている。

制度やしくみを変えていくのは、大きくは政治の力だ。しかし、それは、ある意味、一つの偏った幸せの基準しか提出しない。多様な価値があってもいいという社会、制度やしくみを生み出すのは、実は、人々のありきたりな日常の中にしかない。それも、いままでこうだったからという閉じた日常ではなく、いまある日常を疑うという視線の向こうにしかない。

いつもいうことだが、自由であることはこわい。しかし、そのこわさの向こうには、自由であるがゆえにえらえる、確かな別の日常がある。それが、僕の生きる道