秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

歪さの堂々巡り

東京は満開の時期がこの週初め…あちこちでプライベートに、仲間と、そして会社で花見を楽しむ人たちの姿がある。
 
昨年の今頃は、本当に日本中が大変だった。しかし、それは大変さの始まりの始まりに過ぎなかった。震災によって、いろいろな歪さが生まれた。これまで表に現れていなかった歪さも浮上した。そして、なんとか震災前の株価に戻しながら、それでも震災後の歪さは、まだまだ続いている。
 
大手電機メーカーの多くが、大規模なリストラに踏み切っている。Sonyの1万人リストラには多くの人も驚いたのではないだろうか。震災後、再就職や再雇用が狭き門になっている中で、大量のリストラは、多くの就労困難者につながる。震災のよる企業倒産や解雇の総数の合わせれば、再就職を目指す人の数は甚大だ。
 
基本、社会をつくり、支える制度やシステムというのは、現状における体制維持のための制度やシステムに過ぎない。5年後、10年後、15年後における危機を予測して施行されている制度やシステムというのは実は、少ない。それが、今回の震災、そして原発事故が露呈したものだ。
 
いやいや、それは想定外の未曾有の被災があったからだ…と原発依存者たちはいう。政治家や行政マンさえ、多くはそうした見解に違いない。
 
しかし、それは、危機を危機としてとらえる、切実さと想像力、そして思考力の欠如というしかない。震災がきたから、歪さが生まれているのではない。震災前からこの国、地方の制度やシステムは現状維持という辻褄合わせの中でしか組み立てられていなかった。とうに限界に来ていたのだ。
 
思い出してもらいたい。小泉以後起きた、格差とそこで生まれた問題を。小泉以後、年間の自殺者が30000人以上となり、その数は減少する兆しすらない。そして、その後の地方の空洞化と疲弊。
 
少子化担当大臣などというものをつくって、あれこれやって、どれだけ少子化が止まったというのか。消費者庁なるものをつくっても相変わらず、高齢者の振り込み詐欺被害は減っていない。地方の空洞化はとどまらず、限界集落や過疎地域は増大している。自殺防止の対策を国会で議決したからといって、自殺が止まるわけではないように、中高年の孤立死もとどまるどころか増加の一途だ。
 
震災はそうした国、地方、制度やシステムが抱える問題を明確にしたに過ぎない。にもかかわらず、現実の生活者に届かない形ばかりの対策が霞が関や永田町で、さも、人々のためであるかのように論じられ、法制化され続けている。一方では、これまでの制度を変えるとばかり、明確に格差の増大はやむえないとう、ニューネオコンの橋下などの勢力が勢いを集めている。
 
働ない公務員はいけない。既得権をほしいままにしてる輩はいけない。余剰な福祉、過度の救済措置は妥当ではない。制度を立て直すためには、痛みはすべての人間に均一であるべき…という考えは、まさに小泉とまったく同じスタンスだし、憲法改正にまで言及するのは安倍、麻生同様、傲慢極まりない。
 
憲法の改正は政治が主導するものではない。国民の発意によってこそあるのだ。憲法は国、政治家が国民に与えるものではなく、国民が主権者であることを宣言し、国民が政治や政権を拘束するものだ。その改正論を政治家がさも主権者の如く唱える国など近代国家のどこにもない。
 
こうした歪さは、だから、震災後の始まったことではない。にもかかわらず、制度やシステムの変更、国のあり方について、かってあった考え方が浮上し、まるで螺旋のようにめぐっている。それでは、震災が痛烈に教えた教訓を何ひとつ、生かせる国には変わっていけない。