秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

スタンダードというまやかし

震災以前からそうだったが、多くの人が震災後、外食や夜の遊興の酒席、食材費にお金を使わなくなっている。使うとしても、リーズナブルなものにシフトしている。
 
一方で、高級志向、限定品志向は強くなっていて、高額でも、質のいい飲食を…と驚くような高価な商品や店が流行っていたりもする。
 
もはや、立ち飲みノリの廉価な店か、ある程度、大人を満足させるような飲食やサービスが提供される店でないと人が集まらないというはっきした棲み分けが進んでいる。そのいずれでもない、とりあえず派は、全国にチェーン展開する居酒屋へ…といった空気。
 
しかし、和民や魚民といった類の店は自分たちが持ち込んだ囲い込みによる競争原理によって、またいま駆逐される側に回っている。大規模化はマニュアル化、類型化、そして無個性化へと進むようにできるいるからだ。
 
大店法で、郊外のジャスコ的大型ショッピングモールができてから、地域の商店街や昔からの飲食店が姿を消して久しい。2006年に地域の停滞を食い止めようと大店法は改正されたが、すでにその頃には、地域商店街や飲食店の空洞化は定着してしまっていて、無個性なジャスコ的地域空間は金太郎飴のように全国に広がった。

一見、大資本をバックにした大型店が自助努力の足りない、地域の中小、零細自営業の店を凌駕した…という構図にしかみえないが、実は、ここには地域と中央との消費の隷属的囲い込みの構図が潜んでいる。
 
世界環境会議が開かれたある年、片田舎に住む一人の農夫ジョン・ホセが自分の村にマクドナルドが進出する計画を反故にしてしまった騒動があった。彼の理屈は明確だった。
 
自分たちが育てた牛や羊、農作物、ワイン…その食材を使って自分たちの村の食文化がつくられ、歴史を刻んできた。それを市場に流すことで生活の糧も得てきた。土地のものを調理加工する知恵は住民たちに行き届いている。だから、食育もそこにあった。
 
世界展開して大量消費を前提に、破格の値段でハンバーガーを消費させる。その食材は、どこか遠くの大規模牧場で大量生産される牛肉、大規模農法で生産された農作物。製品加工、味覚においても世界スタンダード。それでは、おらたちの土地の文化が消えてしまう。よその町や村はどうかは知らねぇが、それによって、地域が壊れてしまうことはがまんなんねぇ。
 
やり方はよくなかったが、マクドナルドに火を放ってしました。これに対して地域や世論はどう反応したか? 地域や世論は、彼の行動を支持し、絶賛したのだ。

雇用の創出、地域の活性化、流動性の促進…といった言葉で、平準化されたスタンダード規格を都市や中央から持ち込むことで、これまでこの国も、世界でも、地域の空洞化がとめられると思い込まされてきた。しかし、現実には、地域の疲弊の救世主であるべき、それらが実は疲弊と空洞化をより加速させたのだ。
 
問題は顔の向く、「スタンダード」という方向なのだ。当然ながら、その発信はアメリカを起点に東京的都市支配の構図から生み出される。スタンダードを目指しながら、そこに格差が付きまとうのは、そのせいだ。

いま、被災地の復興支援にこうした大型店舗が深くかかわろうとしてる。いわき市の復興が至難な小名浜漁港には大型ショッピングモールと大規模駐車場建設の計画があると聞いた。駐車場を防波堤としても活用できる試案があるという…。
 
しかし、それは小名浜の漁港を中心とした文化を消すことにはならないのか。いつよみがえるかわからない海をただみつめているよりも、その方が住民の幸せにつながる…確かに、生きるために背に腹は代えられない。
 
しかし、もっと知恵の絞り方はあるのではないか…そう考えるのはオレだけではない。