秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

無知の罪 行動しない罪

政治意識というものと市民意識というものは、本来、表裏一体のものでなくてはいけない。それは、社会倫理の基本に宗教的精神がなくてはいけないのと同じだ。
 
しかしながら、これはいずれも同調圧力や他者性の排除という危険がつまとう。多くの人が気づいていない落とし穴がそこにあるからだ

いまほど政治家、政党への不信が沸点に達した時代も、この国では珍しい。既得権益にしがみついて政治をコントロールしようとしている圧力団体や利権がらみの組織、いまやだれも見向きもしない古色蒼然とした保守主義リベラリズム)しかしらない人間は別にして、動きの読みづらい無党派層、不動票は、もはや政治に多くを期待していない。
 
震災が国民の多くの心に傷を残し、かつ理解させたことは、この国の政治、政治家がいかに無力かという現実だ。さらには、テレビを中心としたマスコミ報道の身勝手さ、調子の良さ。パッシングの対象、スケープゴートをみつけ責任を負わせ、これまでのマスコミの原発推進加担への自己批判はまったくやらない。そして、そこに登場する、いわゆる、識者といわれる人間たちのお粗末さ加減だった。
 
震災とその後の心の傷と機能不全の現実は、いますべての人を襲っている。
 
被災地域そのものでなくとも、これまで身勝手、手前勝手なアメリカ依存の劇場型政治に翻弄され、生活や将来不安を抱えていた人々にとって、長く続く低迷はこの国の末期ともいえる、老醜政治にほとほと嫌気がさしている。

その底割れした社会の現実を覆い隠すように、絆といった言葉が美辞麗句として使われ、ゆるい同情心や憐憫などが平気で世間をまかり通っている。
 
おそらくは、論理的な理解や分析はできていないくとも、自分たちが信じてきた制度、システムが社会においても、個人のレベルにおいても破たんしつつあることを多くの人が感じとっているからだ。絆などという甘い言葉で国が救えるならだれも苦労はしない。
 
だが、政治家もマスコミも、そして多くの人々も、その現実から眼をそらし、美談や美辞麗句の中に埋もれることで、眼の前に迫る危機的状況から、実は逃避している。
 
糺さなければならないのは、絆などというきれい事ではなく、自分自身であり、自分が帰属している企業、団体、組織そのものであることの自覚がない。政治意識と勘違いした、政権批判や政党批判の向こうに見えるのは、自分たちの帰属しているものが傷つけられないための怖れがさせているに過ぎない。
 
つまりは、政治批判を自分たちの政治意識と勘違いしているからこそ、それが市民意識と結びつくはずもないのだ。またして、国民をどん底に突き落した、売国奴の小泉のような劇場型のスター政治家が登場すれば、簡単に騙される。

政治家も、国民も、必要なのは、そうした政治のポピュリズムに翻弄されない力強さ、高い使命感と倫理感だが、戦後66年、天皇というお父さんから、アメリカというもっと大きなお父さんに乗り換えるだけで、政治経済を動かすことしかしてこなかったこの国の人は、そうした高尚な政治文化は持ち合わせていない。
 
宗教団体が政治に関与することは、政教分離を持ち出すまでもなく、やっていはいけない。この国では既得権を持つ靖国にせよ、創価学会にせよ、その区分は実にあいまい。そのあいまいさが、宗教的精神が法秩序や制度に関与し、社会倫理の規範をつくるものだという認識が欠落している。
 
その欠落が他者性の排除を生んでいる。簡単なことだ、万民が合意できる宗教的精神や理念がないところで生まれる、宗教の力は排他性に満ち満ちている。靖国を持ち出す多くの人間にある、中国人、朝鮮人、東南アジア系の人々への差別発言の言質がそれを如実に表わしている。

政治意識と市民意識をとりちがえ、社会倫理の規範となるものをそれぞれの身勝手さだと自覚できていないこの国に、どのような未来があるのか…
 
ある知り合いが、もうこんな国はダメだから、海外に暮らしたい…といった。政治家もみんなバカじゃん…。確かにそうだ。
 
オレはいった。
 
そのダメな国、ダメ政治を選んできたのは、オレたちだぜ。もし、この国がダメだと思うなら、まず、自分から声を上げてみたらどうだい。非難し、逃亡することは簡単。しかし、いままで先祖代々、この国で生きてきて、自分も生きて、そこで受けたなにがしがの恩恵はあるだろう。それは、ダメだと自分を非難しているのと同じ。だったら、一度でもいい。自分の生活のささやかな場面で、人に語り、人と集い、その声が政治に届くような行動を起こしてみたらどうだい。小さなことでいい。それをやってから逃亡しても遅くねぇんじゃないか。

政治意識と市民意識はそんなとこからつながっていく。その行動の中に、社会倫理の規範もおのずと見えてくる。

無知であることは罪だ。だが、気づきを持ちながら、眼をそむけ、行動しないことは、もっと罪だ。