秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

今年最初の反省

自動車免許の更新に都庁にある更新センターまで出向く。これまでゴールド免許などは所轄警察署でできていたものが、いまはできなくなっているらしい。

大学受験浪人のとき、おやじが、もし大学を失敗したとき、車の免許があれば、何か仕事にありつけるからと言い出し、いわれるまま教習所へ通った。「仕事がなかったら、タクシーの運転手にでもなれ」。ま、なんと子どもに期待しない親だことw
 
免許をとると、地元の大学に進んでいた友人がスバルの販売会社に勤めている義理の兄を紹介してくれた。
 
最初に乗ったのは、スバル1300。いまでも名車の誉れ高い車だ。その中古を確か当時、10万ほどでおやじが買ってくれた。免許をとってすぐに乗らないと忘れてしまうから…というのが理由だった。おやじは、完全にオレが大学受験に失敗すると読んでいたのだw で、家族の御用聞きのように、買い物や墓参りに中古の名車を走らせていた。専属ドライバーができたようなものだ。
 
好きな女の子をはじめて乗せたとき、車の外観をみるなり、「ぼろいね…」といわれたことをいまでもはっきり覚えているw 確かに。車はもう崩壊寸前だった。
 
パチンコの台付け作業や喫茶店のウェイター、小学生の家庭教師などアルバイトばかりやっていたのだから、おやじが車の免許でもとらせておかないとやばい。そう思っても仕方ない。
 
合格する当てもないのに、福岡市役所の公務員試験も受けとこうか…といったら、それがいいと家族全員がいの一番に賛成した。で、結局は、市役所の試験に受かって、オレはすっかり市役所職員として生きていくつもりになっていた。ところが、大学にも受かってしまった。
 
迷った末に、進学することにした。買ったとき、すでに8万キロも走っていた車は、喫茶店の店長の紹介で常連のサラリーマンのおじさんが5万円で買ってくれた。それは、オレの大学への転居費用にあてた。が、あとで聞いたら、それから1か月ほどで車が壊れてしまい、お釈迦になったらしい(汗)。
 
免許の更新に行くたびに、いつもそのときのことを思い出す。

それから20年近く経って、オレはポルショのエンジンを載せたボルボ850GLTの新車にのり、それが10万キロいってしまうと、中古のBMW525になり、最後は、特別仕様車で国内に数台しなかい、カスタマイズされたBMW535になっていた。
 
あるとき早稲田に用事があり、文学部の校舎前、穴八幡の交差点をボルボで通過したことがある。文学部正門を出入りする、ひとりの痩せた男子学生の姿が目にとまった。まさか、大学の頃、自分が外車に乗って、この正門の前を通るなど当時は夢にも思っていなかった。
 
生涯、四畳半一間か、せいぜい、六畳一間の安アパートで芝居をやり続けているものだと思っていたからだ。どこか、昔の自分に申し訳ない気持ちになったのを覚えている。それからしばらくして、オレは生活を180度変えることにした。いや、正確には戻すことにしたのだ。
 
いまは免許のいらない自転車がマイカー。歩けるところはできるだけ歩く生活。服もアルマーニではなく、MENSBIGIやDIESELに変わった。それでも、学生、劇団の頃よりははるかに贅沢な生活だ。まだまだ、戻り方が足りないw
 
免許の更新にいって、今年最初の反省。