秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

MOVE初の全体会議

26日に初のMOVE会議を開催。本来なら、「大いわき祭」開催初日。
 
おりしも、集中豪雨で、岡山から参加予定のYさんは新幹線が遅延し、参加できなかったし、北海道からのKさんも遅れて参加。そのほかにも、電車の遅延で集合が遅れた人が少なくなかった。
 
が、メンバー登録はしていないが、MOVEの活動についてのオリエンテーションを聴くために参加してくれた方、「大いわき祭」のサポーターとして協力していただく方など含め総勢20名以上。

この活動に参加した時期の違い、関わり方や情報の深度の違い、それぞれの参加動機もいろいろ。その中で、「大いわき祭」の延期理由を含め、単なる説明会にしたくない…という思いの人もいただろう。逆に、最初からの経緯とMOVEが目指すものが何かを丁寧に説明してもらいたいと考えて参加した方も少なくない。

新しく加入した方たちの中で、普段直接会う機会の少ないメンバーは、今回の会議前に積極的に自分から声をかけてくれて、事前に話し合いを持った。基本、これからのMOVEは、疑問や意見、自分の感じるところは、個別でも、会議の場でも、酒席の場ではないところで、自発的に発言し、みんなが共有すべきだと思っている。
 
最初は、いつでも乃木坂秀嶋カフェに集合できる、ごくわずかの人間で始めた試みだが、当初のメンバーを含め、いまは関わり方の経験差、温度差、そして地域差もある、いろいろな人がかかわっている。また、これから先、もっと多くの方にかかわってもらわなくてはいけない。
 
小人数の飲み会で学生のような議論をするのもいいが、大事なのは、きちんとした場で建設的に、前向きな議論をつくり、それをみんなで共有し、つくっていくことだ。
 
もちろん、大勢の前では伝えにくいこともあるだろう。それは個別な場で差し引いてもかまわないが、その内容は、FB上でも、MOVEのサイト上でも公開できる質のものでなければ、MOVEが目指す市民協働の運動にはつながっていかない。
 
つまり、親しい人間の中だけでの、あれは、ダメ、これはダメといった批判や消去法の議論では、運動は前へ進ないと考えている。ダメならダメ、違うなら、違うで、形にならない不平や不満をぶつけるのではなく、理屈にかなった、だれもが合意できる具体的な代案が必要なのだ。
 
提案する人間は、責任も引き受けることになる。そこに提案への確かさも賛同も生まれ、それが実際の行動で示すことにもなり、深度の差異を越えて合意形成がされていく…とオレは思っている。だからこそ、多くの人がかかわりやすい、イベントを最初に持ってきたのだ。
 
数人から、難しい理念の説明やMOVEの旗印の解説よりも、具体的な行動や段取り、それをやるオレ自身のいわきへの思い入れを語ってくれという声があった。
 
人を動かすのは理論ではなく、情感だ。大衆というのは情感に共感すれば、多少の齟齬があってもついてくし、そこに熱意やパワーを発揮できる。失敗があっても乗り越えていける……確かに、そうだと思う。

だが、現実は、情感でつながるだけの運動が持続性や継続性を勝ち取った事例や歴史は、ひとつもない。最終的には、旗だ。そして、どこに到着するかの目標だ。まして、オレのいわきへの思いは、もはや言葉にできるような安易なものはない。
 
本当のいわきへの思いは、そう簡単に言葉になどできるものではない…とオレは思っている。100日法要から戻った夜、溜まっていた思いがとめどなくあふれ、ひとり涙にくれた、あの涙でしか、いわきへの思いは伝えようがない…。言葉にできない思いがある…だからこそ、オレは最初の活動をいわきにこだわったのだ。
 
いわきへの思いを知りたければ、いわきに行くしかない。被災地を見ることがすべてだとは思わない。しかし、思いは口伝ではなく、オレが行くいかないにかかわらず、自分の意志と判断で、オレが大した当てもなく、したように、いわきやその周辺を自分で訪ね歩くしかない…とオレは思う。そして、地元の人、被災した人たちとじかにふれることだ。思いから入りたいなら、そうするしかないだろう。

いまオレにできるのは、冷静に、より確かな方法と道すじをつけること。参加者がどの程度自覚しているかどうかは別にして、オレたちは、すでにいわき市民30万人の尊厳と名誉を背中に背負っている。
 
強引にでも予定とおり「大いわき祭」をやりぬき、それが失敗してもそれを糧にできただろうという意見もあった。それは周囲へ体面もあったろうし、体裁もあっただろう…それはギリギリの攻防でオレ自身の頭にもあった。しかし、それは所詮、自分のことを考えてのことに過ぎない。
 
強引に実施し、失敗して生れるいわき市民の感情、それを牽引したいわき市のキーマンたちの立場、それを勘案すれば、実施しての失敗よりも、延期する撤退の方が次の成果へつながると判断したのだ。
 
延期したことで、いわき市側もこの大いわき祭へのかかわりの敷居は高くなった。つまり、重要度が増した。そして、MOVE側にとっても敷居はより高くなかった。次の開催は、そうした意味で最初より重い意味を持つ。
 
自治体や団体とこうした地域活性化事業の仕事をすれば、相手側の体制が整わない、ギリギリになって反転する…ということは珍しいことではない。相手は単一企業でもなければ、一本化された窓口があるわけでもない。その攻防と肉弾戦の中で、活路を見出す…というやり方でしか、地域事業というのは形になっていかない…これはオレが実際にいつくか取り組んだ地域事業の経験の結果だ。
 
そのためにも、いわき市市民感情や地域のキーマンへの配慮がいる。一度だけの花火ではないからこそ、情感だけに任せて事を進めるわけにはいかない…それが共有できたとき、そこから本当のMOVEの活動がスタートする…とオレは思っている。
 
なぜなら、そこにMOVEが掲げる旗と到着目標がやっと誰の眼にも見えるようになるからだ。
 
利他のための行動を自らせずして、人には、何の真実も見えはしない。
人と人のつながりは、その愛でしか支えられない…とオレは思う。
 
だから、MOVEのテーマ曲はこれで…