秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

この国の問題、人の問題

人は自分が思う以上に、人に読まれている…
 
が、同時に、人は人が思うほどに、人を理解していない…
 
これは、コミュニケーション能力の基本にある命題だと思う。昨今、KYといわれている人が増えているのも、他者との会話を楽しんでいるようで、結局、自分のことばかりしか話さない人が多いのも、計算づくでしか、人と接することしかできない人がいるのも、そうしたわずらわしさが面倒だからとコミュニケーションから撤退する人が増えているのも…この命題にうまく取り組むことができていないからだ…とオレは思う。
 
会話する機会や場は、おそらく昔以上に増えているし、その広がりも広くなった。リアルな会話ばかりでなく、こうしたブログやツイッタ―、FBを通して…という場面も増えている。

機会や場は増えながら、その内実は実に寒々としている。
 
おバカなおじさんとかが、リアルコミュニケーションはバーチャルなコミュニケーションを圧倒するものだから、リアルの中にこそ、語らいの場がある…などとIT音痴をごまかしたりしているが、それはほとんど意味のない議論。リアルとバーチャルの壁は限りなく薄くなっているし、バーチャルコミュニティがリアルなネットワークを凌駕することも多くなっている。
 
しかし、それでいながら、コミニュケーション能力が劣っているのは、大人になるまで、なってからの対人関係のトレーニングができていないからだ。
 
自分の中の閉じた世界にしか踏みとどまれない人、わずかばかりの人間関係の中でしか、リアルな関係を保てない人…つまり、自分に自信がない人は、リアルであれ、バーチャルであれ、コミュニケーション能力が薄い。
 
それでいて、最初の命題が人と接するうえで、わきまえるべきことだ…ということがわかっていない。わかろうとすると、わずかばかりしがみついてるかすかな自信、自尊心が揺らいでしまうからだ。

必ずしも、真実が人を幸せにするわけではないが、人は自分の弱さとは素直に、正直に向き合った方がいい。そうしないと大切なものを見失ってしまう。それに気づいている人は、修正できるが、気づけない人は修正も難しい。
 
いまこの国か抱えているいろいろな問題は、とどのつまり、いまという時代を生きる人、すべての人が抱えてるこの問題が根本的な要因のような気がしてならない。

FB仲間のIさんが指摘するように、その教育を変えていかないと人づくりはできないし、結果、社会を変えていくことにはならないだろう。