秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

戦後66年の右傾化

戦後66年の敗戦記念日…。
 
この10年ほどの間、年を追って、靖国神社への参拝者の増加や「新しい歴史教科書をつくる会」的な右派識者の活動や新右翼といわれる運動が盛んになっている。

一時代前までなら、そうした活動に参加する人間の意志や主張が一枚岩で、対立軸がはっきりしているから、右派と左派、中間派に分けられて、そこに明確な対立や固執した主張などが飛び交ったものだった。
 
しかし、靖国を訪ねる人にも多様な思いがあり、かつ、右派的歴史認識においても論点や視点がバラバラ、さらには、右翼というもの自体も、真正右翼からエセ右翼(やくざ、ヤンキー)までと幅が広がっている。

社会の右傾化といっても、その内実は、実に幾重にも枝分かれしていて、みんなが共有できる強い信念や確信に基づいたものは、実に希薄になっている。
 
答えは実は簡単で、世の中をなんとなく右傾化した考え方に押し出しているのは、この国の政治の脆弱さ、頼りなさ、弱々しさ、それによる生活の荒廃が大きな動因になっているからだ。
 
同時に、それに代わって、人々が賛同したり、共有できる確たる行動原理=理念が成立しないことを人々が、自覚する、しないにかかわらず、知っていることもある。

社会の基軸が大きくぶれるとき…決まってこうした、なんとない右傾化が進む。大衆の不満の原理にあるのは、よすがとなる基軸が脆弱なことだ。この国の大衆というのは、自ら血を流して世界を変える…という行動を最初から放棄しているから、頼りない権威に代わる、権威を探しているに過ぎない。何んとかしてくれ、何とかしてくれないと恫喝するぞ!…依存体質の大衆が行く、その一番簡単な手立てが右傾化。
 
これは太平洋戦争前の日本においても同じだった。軍部ひとりが走ってあの戦争を始めたように、アホなマスコミがいうが、多くの無知なる大衆が、それを支持したのも事実。当時もそうだったが、多くの日本人が世界というものを知らなかった。
 
その言動が世界からどう見えるか…ということにもだから無頓着でいられるし、愛国心民族主義をとりちがえている、アホな国粋主義者は、日本は日本の道をいけばいいのだ…とかつてこの国を無謀な戦争へ導いた軍上層部のおバカたちと同じことを口にしたし、している。
 
基本、いざ戦争や紛争になって、戦場にゆくこともなく、血を流すことのないオヤジ、オバン連中が、調子こいて、そんなことを息巻くのは、いつの時代、どの国においても同じなのだ。いわく、「いまの若い奴を鍛え直さにゃあかん…」。鍛え直さなくてはいかんのは、お前らだろ…とオレはいいたい。

しかし、このノリは格段、右傾化した人々にだけいえることではなく、市民運動やリベラル派といわれる連中もいえることで、庶民生活の実態や現実を触診することもなく、わかりもしないで、うわついた正義感で治療にもならない処方箋を出して自己満足している。それが利かないと、だれかに責任をすり替える。

つまりは、堂々巡りの議論のようだが、この国に、基軸となる行動原理がないことがすべての要因。この辺のところは、大天才、小室直樹がもう40年も前から論破しているし、警鐘を鳴らしている。三島由紀夫はあの割腹事件によって、この国真実を浮かびあがらせた。
 
靖国がどうのこうの、歴史認識がどうのこうの、の議論は語るに値しない。所詮は一宗教法人の私的施設の議論のこと、歴史認識どうのこうのも、小さな島国の中だけの議論。どこにも、国益論がない。
 
この国のオヤジたちは長生きが過ぎる。オレも含めてだが、こういう頭の固いおバカ世代は、社会の中心世代を40代以下の連中に早く渡して、とっとと去った方がいい。