秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

塩屋岬の灯台のように

福島県は無論のことだが、隣接する栃木や茨城、千葉、埼玉、そして東京、神奈川、静岡…原発放射能被害についての不安の輪が広がり続けている。
 
とりわけ、乳幼児を抱える母親たち、妊娠した方たちの中に、パニックにも近い不安感をいただいている人は少なくない。
 
鼻血を出した…咳をする…じんましんが出た…。子どもが倦怠感を訴えている…。放射能による直接の症状ではないものでも、すべてを疑いたくなる。それは、仕方がない。
 
子育て支援の作品をつくったときに、おしっこが黄色ぃ!と慌てる母親がいると聞いた。その母親は乳幼児のおしっこは透明でなくてはいけないと思いこんでいたというのだ。
 
核家族化、地域の崩壊で、支援がなく、母親の子育て知識が脆弱な時代に、放射能被害への恐怖…それは、動揺するなといっても無理なのはわかる。
 
厳密にいって、今回のような原発事故の経験がこの国にはない。権威のある学者や研究者の間でも、放射能のキケンについての規定や基準は、そもそもひとつではなかった。そこにきて、経験のない事故が起きてしまった。
 
そうなると、人は、最悪のシナリオを想定してしまう。確かな基準がないからだ。学校衛生の基準に、プールにおける放射能汚染の基準もなかった。
 
福島県内でも、そして東京でも、子どもと母親を長野や関西、沖縄へ移住させる動きがある。場合によっては、一家で遠く離れた沖縄に移住する人もすでに出ている。
それも一大決意だろう。
 
震災後ひと月ばかりのとき、小名浜漁港へいったとき、地元の漁師がもはや漁はできないから、別の仕事を探さなくてはといった言葉がよみがえる。
いわき市は観光と漁業、そして農業、商工業の町だ。
 
日産など企業誘致も市の経済を支えている。また、地元企業も多い。観光、漁業、農業、企業誘致、そしていわき市はもちろん、周辺の市町村からの労働力の受け入れにもなっている地元企業…。
 
それが、震災被害の上に、原発から半径50キロ圏にあるという街の不幸を一身に背負っている。いわき市は、いわば福島県を象徴するような街、そして、それは同時に、この国のいまを象徴する街。
 
いわき市がこの苦難を乗り越えるには、大きくパラダイムを変えなければいけない。それは、この国が変えるべきパラダイムのひな形になるといってもいい。
 
そこに踏みとどまってしか、生活できない人がいる。そこに踏みとどまって、パラダイムを変えるにはどうしたらいいのかと苦闘している人がいる。捨ててしまうわけにはいかない。捨ててしまうほどの原発の直接的な被害があるわけでもない…
 
その中でこの街が生き延びる道はどこにあるのか…おせっかいでも、それを共に考え、行動することには大きな意味がある。人々の航行の安全を示す、塩屋岬の灯台のように…。
 
 
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