秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

自分の意志や力以上の何か…

先週、いわき市の被災のひどい海岸部を訪ねた。最初にいわき市を訪れたとき、いわきジャーナルに教えてもらった薄磯や豊間…夏になれば、海水浴を楽しむ人でにぎわう場所だ。
 
美空ひばりの唄「塩屋岬」でも有名。
 
豊間小学校の子どもの賞状や写真を見つけた場所でもある。その子の安否が気になっていた。
 
2ヵ月ほど前いったときよりは、瓦礫の撤去も進み、被災した当時のような悲惨さは薄れていたけれど、初めて参加した東京医学部教授秘書のTや中標津の皮膚科医のKさん、エステ経営のKAなどは、一応に息をのんでいた。
 
被災して使えなくなった豊間中の校舎を撮影して、戻ろうとしていると男性の高齢者が瓦礫をみつめている。「ここが自宅だったんですか…」と声をかけると、この地区で4軒だけ、奇跡的に被災しなかった家のひとつに住んでいるという。
 
カメラを回しながらあれこれ立ち話をして、別れを言おうとすると、18日に合同慰霊祭をやるんだ…と教えてくれた。
 
結局、その言葉が心にひっかかり、いろいろ考えて、再度今週土日にいわきへ向かうことにした。今回は、同行者はいない。急なこともあるが、これは、オレのブッティストとしての心情とうちの自主作品のための取材。毎回同行してくれているKWにもあえて、声をかけなかった。
 
18日午前11時から薄磯の合同慰霊祭、19日午前10時が豊間の合同慰霊祭。合わせて、200名以上の方への鎮魂の日となる。19日の午後3時からは、スパリゾートに避難している被災者を励ますフラガールのショーもある。それらを取材して、夜20時半に上野駅着の予定。

土日ということで、市や商工会議所などいま折衝をつめているところには出向かない。Tに調べをしてもらっている物産農家や酒蔵に途中よれればいい。
 
最初に被災地を訪ねて出会ったのが、この地域。
 
その合同慰霊祭に、まるで誘われるように、オレは向う。声もなく、突然奪われたいのち…。その無念、そして御遺族の思いにじかにふれ、何かを感じろ…そういわれているような気がしている。
 
死んだもんがもういっぺん、生まれたい…そう思えるような国にする…。その一歩を踏み出そうとするときに、その慰霊祭に参加する。オレは自分の意志や力以上の何かに、いわきに呼ばれたのかもしれない…
 
昨夜、友人の港区議に頼んだ、手配のいろいろは、今日電話をもらい、あとは日程を確定すればいいだけのことになった。このすばやい展開も、何かの力が働いている…としか思えない。