秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

どこか虚しく、どこか歯がゆい

普段、自転車。急ぎや雨天ともなれば、地下鉄。
 
使うJRの駅といえば、もっぱら、渋谷、原宿、それに新宿くらい。ごくまれに、上野、御徒町を使うくらい。この間、FB親友のKさんとの秘密会議で、神田に降りたのも数年振り。
 
そんなオレが赤坂で墓所墓石葬祭グッズなどを手掛けている三代目経営者のKさんと品川と待ち合わせ。これが、品川の駅に降りてびっくり。ここは、ハリウッド映画に出てくる未来都市ステーションか…と突然お上りさん状態になる。
 
そういえば、新幹線駅ができてから一度も降りたことがない。かつ、港南口といえば、昔は、何もなかった。30代の頃、どこかの半導体メーカーのVPの打ち合わせかなにかで行った頃は、無味乾燥したエリアだったのだが…
 
Kさんに何度も携帯でやりとりしながら、15分遅れて、港南口近くのアトレ品川のビアバーへ。周囲の駅店舗はおしゃれな飲食店ばかりだし、サラリーマンやOLなどで駅中が人、人、人…。震災のあった国とは思えないにぎわいと人通りだ。
 
帰路、タクシーで帰ろうと高輪口に降りて、やっと昔、よく来ていた品川駅の風景。なくなったパシフィックホテルには仕事でも、女性同伴でもよくきたが、別の経営に変わったものの、その面影はまだ残っている。

ふと気づけば、品川に来ていたのは、30代中ごろ。大崎にあった会社を辞めて独立してからというもの、とんとそっち方面には縁がなかった。

タクシーの運転手にその話をすると、しみじみ同意してくれた。そして、ここでも震災の話に。なんでも、奥さんの実家が福島県田村町にあり、一部が原発の指定地域に入っているという。
日赤の義援金の支給の遅配に始まり、復興の遅れの不満になり、とどのつまりは、政治のていたらくの話題になる。民主ばかりを批判しているが、原発推進自民党の政策。その責任もとらず批判ばかりしている。
 
「だから、この間の選挙はどこにも入れなかったんです…」。その声はおそらく、いま人々の間に当時より、もっと広がっているだろう。

品川駅のおしゃれになったステーションビルで一日の仕事のつかれやこれから遠距離の家に帰る前の束の間のやすらぎを過ごす…ここにいる人たちの震災やいままで暮らしへの検証はそれぞれだろう。
 
とりあえずは、いまの生活を生きるしかないし、いまの生活を失わないためにも、いまを生きるしかない。
 
しかし、被災地で瓦礫に包まれた、もはや街ともいえない風景を見てきたオレには、その落差の大きさが気になる。至る所で節電対策はしてあるものの、港南口の両脇には液晶テレビが何台も並び、駅ビルはにぎわいとともに、光にあふれている。

まさに都会の象徴。一昔前なら、トレンディドラマの舞台になったような空間。
 
ああ…オレたちは、このトレンドをずっと追い続けていたなぁ…とふと30代の頃の自分の若さを振り返る。きれいに整備され、人のにぎわいと都会的なセンスに包まれた駅と街…。
 
それをやみくもに否定する気はないが、この国と東京は、やはりこの空間を求め続けるのだろうな…とどこか虚しく、どこか歯がゆい気持ちになる。