秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

福島を救おうプロジェクト -自分たちの力でいわきを元気に-

いわき市に入ると、同行したKが、「なんかふるさとに帰ってきた気分ですよ…」と、つぶやいた。
 
わずか10日ばかりで、再訪しているから、その記憶は新しい。そんな気分になるのも当然だと思いながら、内実ともにそう呼べる道を歩まなくては…と心に誓っていた。
 
まずは、一番気になっていた、スパリゾートハワイアンへ。
 
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正面入り口には道路に亀裂が…            営業開始へ向けた工事が…
 
テレビ朝日などが、今年春に入社したフラガールズのドキュメントを報道していたらしい。昨年内定採用をもらい、そのあと、3.11が起きた。入社してみれば、施設は不全となり、ここハワイアンセンターでの活動はできない。その中で、まず、いわき市内の避難所への慰問、そして、宮城、岩手の被災地へ慰問に向う活動に取り組もうとしている。

施設が動かない…その中で、少しでもいわき市の人々、そして、被災した他の地域の人々が励ませたら…。
 
かつて、石炭不況のあと、この街の再生のために生まれたフラガールズは、いま震災と原発で多重の苦しみにある、いわき市の再生のために、再び、闘おうとしている。巡回公演は、施設が回復し、いわき市の復興が進んだとき、きっとあたらな客を他の地域から呼ぶこむ、呼び水になるに違いないからだ。
 
報道されていないが、センターの復旧は、当初の予定を越えて、8月いっぱいかかると予想されている。いわき市観光協会の会長をつとめているのは、センターの代表。年間150万人の集客、30万人の宿泊…。名実ともに、いわき市の観光の柱がこのセンターだ。人々が地域へ落とす観光消費はいわき市の大きな収入にもつながている。
 
それが観光シーズンの真っただ中、とまる…。その影響は甚大なものになるに違いない。いつくか飲食関係の店で話を聞くと、すべての人がその影響を感じていた。
 
施設内での立ち入りチェックをしていた社員の方に話を伺った。
 
被災した旧宿泊施設の改修と安全確認を急いでいるという。いわき市内の避難所で暮らす被災した人々を受け入れるため…という答えが返ってきた。収益をえるための営業施設の回復よりも、被災した人の受け入れのために旧施設の修復に先に取り組む…。その姿勢に心打たれる。
 
忘れられていた被災地は、被災したそのときから自分の足で歩こうと決意していたのではないだろうか…という思いがよぎった。
 
廃坑という厳しい時代を自治体、住民、炭鉱関係者の力でしのいできた、あの歴史が、この街の人々の精神をつくり、いまに受け継がれているのかもしれない。
 
大手マスコミ各社が現地から逃走したあと、被災情報を流し続けたいわきジャーナルのSさんやスタッフのみなさんの思いもそこに通じるような気がしたのだ。
 
責任と自立…。この街はどこかでそれを知っているのではないか…。
 
イメージ 3いわきジャーナルへ向かう前に昼食を済ませる。この間紹介した、いわき市初の高級フェミレス「メヒコ」。前回話を伺ったWさんと再会し、改めて震災直後の情報とその後の地域情報をもらう。
 
被災した友人の中には親戚を頼って、いわき市を離れている人もいる。発祥の店舗、フラミンゴ館の調理担当者は家が倒壊し、経営者の配慮で、寮のある郡山店へ転属になったという。
 
しかし、ここでも最後にWさんがいった言葉は、「少しずつだけど、自分たちの力でいわきを元気にしたい…。だから、いわきを応援してください」というものだった。
 
Wさんは幼い子どもを保育園にあづけて、この場所、この土地で働いている。原発放射能汚染や風評被害、被災の中で、この土地を信じ、この土地に踏みとどまり、生きようとしている…。
 
人妻の子持ちとはみえない、若さあふれる笑顔の向こうで、そこにも、ここで闘いぬくという決意がオレには見えた…。
 
イメージ 4午後、原発から40キロほどのエリアに広がる平市にある避難所をのぞき、その足で、いわきジャーナルへ。
 
丁度、取材エースAさん、博士とあだ名されているNさん、女性スタッフのOさんが取材から戻ったばかり。Sさんに、東京の青山赤坂界隈でいわきの物産展はどうだろう、ある企画につい
 
はどうだろうと軽く打診しながら、今日予定している避難所の情報をもらう。いわきジャーナルはオレたち進めようとしている市民による支援相互交流の頼りになるパートナー。その形がわずかの間にできようとしている。
 
初めて面会したときからSさんと波長が重なった。それは、ハワイアン、そしてメヒコのWさんたち、そして、Sさんに紹介してもらった、創作かまぼこのかねまん、あるいは、避難所や高級割烹一平といった人々にも共通しているものだ。
 
国、行政、自治体にばかり頼るのではなく、市民一人一人の足と手をつかい、自ら率先していわきの復興へ取り組む…その思いと行動だ。
 
オレがSocial Net Project MOVEを立ち上げたものも、政治や行政の硬直したシステムからではなく、権威や既存の力に頼らず、市民同士のつながりの中で、社会を変える運動を起こしたいと願ったからだ。
 
市民の自立。そのにおいがここにはする。なにかに依存し、責任をすべて他者に押し付け、自分たちは被害者という殻の中に閉じこもり、自らの責任を引き受けようとしない、これまでの地域、住民のあり方ではなく、オレが、わたしが、自分が、この土地をつくり、この地域をかえていく…そのための自立をめざす。
 
それがきっとできる最大の機会がいまオレたちの社会にはある。
 
新参者が本当の信頼を勝ち得るには、まだ時間がいるだろう。だが、オレたちは、確かな行動と実現の中で、それを、いわき市で出会った人々の前で、形にしていこうと決意している。
 
「自分たちの力でいわきを元気にしていきたい…だから、応援してください」。言葉の初めに、応援してください…がない。日本人が、人が忘れてはならない、覚悟がここには至るところにある…。避難所を回る中で、オレたちは、それに幾たびも出会うことになる…