福島を救おうプロジェクト -浮かびあがる手抜き-
どういう経緯かは知らない。いわき市で少女期、思春期を過ごした、秋吉久美子がいわき市の避難所を訪ね、支援活動をしたことが報道に乗った理由のように見えた。
理由はどうあれ、いまいわき市の支援を中心に福島を救おうプロジェクトを考えているオレたちにすれば、少しでもいわき市の現実が知られるなら、それに越したことはない。
理由はどうあれ、いまいわき市の支援を中心に福島を救おうプロジェクトを考えているオレたちにすれば、少しでもいわき市の現実が知られるなら、それに越したことはない。
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今回の福島ツアーで情報をくれた、うちの元OA担当の女性営業ウーマンだったSさん。彼女のおかげで、いわきジャーナルと知り合え、大きな収穫を得られた。その彼女の出身は白河。
須賀川に入ると倒壊した古い家もあるし、半壊状態の家屋も少なくない。そして、内陸部で大きな被害となったのが、農業用水としても利用されていた貯水湖の決壊だ。
内陸でありながら、津波に襲われたような状況で、河川沿線の家々がすべて流され死傷者を出した。その爪痕は、まるで、整地されたように何もない。だが、歩いてみると、そこに墓石が倒れていたり、生活の残像のように、本や生活道具が土にまみれていた。
同行した仲間の弁護士のKさんが、これはどう考えても人災だろう…とつぶやいた。
地震に耐えられる構造にそもそもなっていなかったのではないか。検証すれば、工事の手抜きが浮かび上がるに違いない…事実、震度5か6程度で、貯水湖は決壊している。想定外という言い訳はきかないはずだ。
地震に耐えられる構造にそもそもなっていなかったのではないか。検証すれば、工事の手抜きが浮かび上がるに違いない…事実、震度5か6程度で、貯水湖は決壊している。想定外という言い訳はきかないはずだ。
訳知り顔のマスコミや評論家は、簡単にリスク管理のもろさだけを取り上げる。
責任をひとつに集中することは、一番簡単な報道や評論の仕方だ。問題をリスク管理の甘さに集約するのは、一番安易なやり方だ。大衆の批判を浴びないためには、それが一番安全な報道だからに過ぎない。だが、現実はそうではない。
この国は、安穏な生活の中で、生活のひとつひとつを検証する…ということを怠ってきた。津波被害の甚大さを取材すると、多くの人が、いつも津波警報は出るが、実際には、せいぜい1メートル程度の津波しかこなかった。それが津波の怖さをどこかで忘れさせていた…と語った。
いま浮かびあがっているのは、オレたち国民ひとりひとりにあった、政治への手抜きであり、マスコミの軽薄な情報に振り回されていた国民生活の浅さなのではないか。
それは自治体の姿にも、地域のあり方にも、そして国政の姿にも投影されていた。
責任と自立について前に述べたが、だれも責任をとろうとしない…そんな社会をつくっていたことが明るみに出ただけのことだ。政権においても、東電においても、震災に対応できない脆弱さをつくっていたのは、マスコミも含め、国民全体の責任でもあるのだ。
それは自治体の姿にも、地域のあり方にも、そして国政の姿にも投影されていた。
責任と自立について前に述べたが、だれも責任をとろうとしない…そんな社会をつくっていたことが明るみに出ただけのことだ。政権においても、東電においても、震災に対応できない脆弱さをつくっていたのは、マスコミも含め、国民全体の責任でもあるのだ。
自分たちの生活、自分たちのいのち、自分たちの尊厳、自分たちの地域、自分たちの国…それを守るのは、自分たちでしかない。その現実を知ろうとも、学ぼうともしてこなかった。
その現実をいま受けとめずして、いつ受け止めるのか…