秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

知恵と流儀と作法

ひと月が過ぎて…やっと届いたスマートフォン
当然ながら、読者諸君はわかっていると思うが、これはただのスマートフォンではない。いやいや。ドコモのXperia arcという超いま手に入れるのがレアなスマートフォンだからではないぞよ。
 
 
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そう。諸君の中で勘のいい連中はわかると思う。いざというとき、スマートフォンにしか見えない、これを空にかざす…。すると、たちまち…! 
 
そうなのだ。地球を救うウルトラ防衛隊の隊員に変身できるのだ。ぎゃは!(笑)。

なんて、冗談のように聞こえるだろうが、実は、FBを移動中も操作しやすいようにと購入した。FBには貴重な人材や才能ある市民情報がつまっているから、あながち、冗談ではないと思っている。
 
FBを初めてしばくして、徳島へ講演に出かけたとき、ノートPCの無線ラン機能が地方ではまだなかなか使いにくい現実に出くわした。これまで、スマートフォンのようなカスタマイズに比重をおいた携帯端末は不要と思ってきたオレが、その現実に圧倒されたのだ。
 
ここまで入荷が遅れたのはいうまでもない震災の被害で液晶画面、電子機器部品の製造工場がやられたから。携帯やスマートフォンひとつで、いかに地方と地方、地方と都市とが普段意識できないつながりの中にあるかがわかる。
 
ひとつの商品、ひとつ作物、ひとつの製造物…。その中に自分たちの知らない地域やまだ見ぬ、名も知らぬ人の手や力がかかわっている。ひとりの人がそれによって生業を立てているとしたら、そこには、その人の仕事を支えている家族や親族、知人、友人たちもいるだろう。
 
一つの完成品の中に、多くの人の生活と人生がこもっている…。オレたちの国、社会は、それをいつのまにか忘れていた。

携帯端末のショップや家電量販店にいけば、何でもそこに完成品として物がある。スーパーにいけば、調理しやすく、食べやすい形になった肉や魚がある。果ては、調理済みの総菜まであることで、家庭の味、おふくろの味というものも見えなくなった。そして、煮物ひとつつくることの手間暇も。
 
人は、それも忙しい生活があるからと口々にいうだろう。忙しいから完成品を購入する。それはいい。しかし、それと同時に、そこにある見えない人の生活やそれに支えられている自分の生活のことを振り返ることもしなくなった。
 
子どもの頃、本を枕にして寝転んでいたり、本をまたぐと、オヤジからすごく叱られた。茶碗に米粒を残したり、魚の食べ方が上手ではなかったりすると、それも叱れた。何かの拍子で、物を壊すと、これも、「大事にしていない」と怒られた。好き嫌いをいえば、たべなくていいと説諭された。
 
昔の人間は、いまに比べたら、本当に物を大事していたと思う。幼い頃は、その深い意味を理解できなかったが、多くの日本人の中に、完成品の中にこもっている人の労苦を推し量る心があったからなのだ。もののない時代に生きたがゆえに、それは理解できる深さだったかもしれない。
 
しかし、それをきちんと継承し、生活の中で意図して実現してこなかった結果、オレたち日本人は多くのものを失っていったのだ…とオレは思う。このブログのもうひとつの書庫、「あの素晴らしい愛をもう一度」でオレが書き綴ってきたことはそのことだ。
 
ある女性に以前、ヒデは明治生まれ?といわれたことがある(笑)。オレにはほめ言葉だ。
 
いまオレたちは、日々の当り前の生活のあり方を問われている。この震災の次につくる社会は、いままで違う視点や発想が必要だろうとだれもが予感している。その問いの先にある答えは、実は、オレたちが失ったもの、捨ててきたものの中にある。
 
あの知恵と流儀と作法…。それを取り戻せるか取り戻せないかでこの国の未来は変わる。