秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

わからない…

世の中には生真面目だという人がいる。
 
FBの朝のシリーズに「といっているようなこの写真」を始めてから、ちょっとした人気シリーズになっている。前日のできごとや報道、自分の生活の中で感じたことを詩的な文章でコメントし、落ちに、Yahoo画像で公開されているハリウッド女優の写真や個人的に持ち合わせている写真、また、FBのアプリで提供されている写真をつける。
 
タグ付けやコメントをする人は多いらしい。それについて、友だち70人未満のある人から、クレームメールをもらった。「タグ付けやコメントをされて迷惑しています。芸術作品ならともかく、もう少し考えていただけないでしょうか…」。
 
この人は何をして迷惑だと感じているのかがまず、わからない。次に芸術作品ならともかくという基準がどこにあるのかわらかない。もう少し考えろというのは、どういうことをいっているのかがわらからない。
 
推測するに、FBでは自分の友だちがどこかのウォールにコメントするとその告知メールがくる。そこをクリックすると自動的にオレのウォールにいく。結果、オレのコメントも写真も目にふれることになる。タグ付けすると、それが友だち関係にある全員の眼にふれる。
 
見たくもない写真を見せられて迷惑しているという意味なのだろう。しかし、その見たくもないというのは、その人の個人的な感情だ。別にヌード写真や男性誌にあるような露出度の激しい写真を公開しているわけではない。
 
芸術作品ならともかく…といわれても、どこがその人の芸術作品の基準なのだ。というか、そんな基準は千差万別。個人的な見方でいかようにも変わる。そもそも写真はそれ自体すべからく芸術ではないのか?
 
もう少し考えていただけませんか…個人的な感情と個人的な見方の基準がわからないのに、どのように考えろというのか。
 
言いたいのは、その人の個人的な感情と見方に即した写真にしてくれというのだろう。なぜ、その人にはそうしたことが他人に要求できるのだろう。自分の中にある正義や倫理を絶対のものとして、クレームしている。他人に自分の感情的な見方と基準に従わせようというのはいかがなものか。

とはいえ、良心的にとらえれば、その人だけではなく、その70名以下の友だちの女性たちから、こんな写真は眼にしたくないと、彼自身がクレームを受けているということも考えられる。あるいは、そうした写真にふれることで、自分の品格が疑われると思っているのかもしれない。
 
しかし、それならば、いままでの写真はOKで、今回の写真だけをクレームの対象にているのがわからない。クレームには、今日の写真のことです…とはっきりある。
 
ますますわからない。クレームには返信していない。メールなどで送らずに、スレッドにぜひ書き込んでほしい。人前で、堂々と自論を展開したもらいたい。その上で、いまアクセスしている仲間も同意できるものであれば、それに従おう。
 
オレも他にいががなものかという書き込みをみかけることはある。だが、それはその人の自由。あえて、それについてクレームをつけるようなことはしていない。なぜなら、FBの使い方、楽しみ方は人、それぞれあっていいと思うからだ。
 
あなた、及びあなたの友だちだけがFBをやっているのではない。
 
とはいえ、それだけ影響力があるということは、オレの本意であるコメントが広く、読まれている証でもある。その証明をしていただいたことには、感謝感謝。
 
不快な思いをさせてしまったお詫びにこの写真。これも「芸術作品」ではないからクレームの対象になるのだろうか?
 
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