秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

市民運動の旗

世の中のパラダイムが変わった…。そう感じている人は少なくない。しかし、それに気づいていない人も少なくない。

ひとつの大きな自然災害がきて、いろいろと不具合がでている。困窮している人もいる。まだ悲しみの中にいる人もいる。東京では初めて経験する計画停電原発被害に、不安、不信、憤りが渦巻いている。将来への希望をなすく人もいる。
 
しかし、この困難を乗り切とうという掛け声はあっても、これまでの自分たちの生活のあり方、消費社会のあり方、組織のあり方、生産活動のあり方、経済のしくみのあり方、人とのつながりのあり方を見直し、新しいものに変えようという声は決して大きくはない。
 
FBでつながりを持った、多くの人たちにそれが見えているが、そうではない形でFBにかかわっている人たちも少なくはない。
 
だが、一年、二年と歳月を刻むうちに、これまでの制度やしくみ、人とのつながり方では、いままでの生活はできない…という現実に人々は直面するだろう。そのとき、大きな壁を取り払わなければ、自分たち日本人、そして、世界に新しい道はないことに気づくときがくる。
 
いま多くの世代が、60年代世界を揺るがした公民権運動を知らない。いや、当時、公民権運動に関わった人々も、そして、その後の多くの生活闘争、沖縄基地反対闘争や三里塚反対闘争など、あるいは安保闘争に関わった人々にも、見えていなかったものがある。
 
マイケル・サンデルが注目を集めているのは、そこに市民による公民権運動の見直しがあるからだ。市民社会がつくられようとした「一瞬」を丁寧に検証しているからだ。
 
公民権回復運動が一定の成果を上げる前、キング牧師やJFK、イスラム闘争から市民闘争へと変化したマルコムXなど、当時、市民を結集し、市民力によって、社会の変革、もっといえば精神的、制度的革命を起こそうとし、権力によって暗殺され、その意思と決意とビジョンを実現できなかった人々の思想、考え方、実践しようとした方向性を彼は検証している。

そして、そこに関わり、あるいはあの公民権運動を背後で支えたアメリ社会学や経済学の視点を見直そうとしている。
 
この震災のずっと前から、サンデルがそれを訴えたのはなぜなのだろう…
 
それは人々の中に醸成している大衆のマインド、市民としての自立の欲求に気づいていたからだ。先進国の誰もが予想しない形の新しい革命が北アフリカ、そして中東で起きる。そのように市民に醸成する、制度変更の要求が、決して経済的に貧しい地域だけではなく、どの国で起きてもおかしくいない。
 
それをサンデルは直感し、その方向性を体系づけて解説した。解説したばかりでなく、これから世界のリーダーとなるハーバードの学生たちと議論の中で、証明してきた。
 
もちろん、日本にもそうした優秀な研究者、学者、識者、良識ある文化人はいる。しかし、彼らの声が、広く国民に伝搬するまでには至っていなかった。そこまでの民度が育っていないかったということもできる。

しかし、自公に失望し、民主連合に期待し、それもうまく機能しないのだと知ったとき、この震災が起きた。人々は、依然、政府や政治家への期待を背景とした不満を述べる。しかし、それだけでは、現実的課題が片付かないことにも気づいている。
 
いま必要なものが、ひとつある…とオレは思う。

パラダイムが変わったという自覚を促すことも大事だが、何かが変わるという明確な旗印を示すことだ。それは、理想社会の旗だといってもいい。
 
多様性、多元性に満ちた今日の社会で、明確な論理や視点によってすべての人が同じ意志によって協働することではなく、温度差や意識の違いはあっていいから、ただ、あのひとつの旗の理想を求めるという共同幻想を必要としている。
 
その旗が見えたとき、自分たち市民が実はいま、どこへ向かおうとし、どこへ行こうとしているのか、それを自覚できる。
 
市民運動とは、その中でこそ、地味だが着実な一歩を踏み出し、連携の輪を生み出すのだ。