死して、人とつながる前に
港区の赤坂で創業し、いま川口に製造工場の拠点を持つ、KWさんの赤坂の自宅で御先祖を祀る総戒名の式事に参加。
お寺や墓所関連の仕事をしているKWさんは、時代変化に対応した業界の刷新のために、知恵を絞り、奔走している。
子どもがいても、娘であれば、嫁ぎ先の家の墓所墓石を守るということになる。息子がいても地方から都市部へ来てしまえば、度々墓参りに帰郷するというわけにもいかない。そうした中で、先々墓所墓石を守る親族がいないのであればと、最初っから墓所墓石を持とうとしない人が増えているのだ。
もちろん、東京近郊では墓所墓石を持つ費用が高いということもある。
永代供養付の樹木葬などが埋葬の新しい形として登場しているのは、そうした背景がある。ワンピースの芝が墓所。それが100家も集まれば、だれかしかがお参りにくる。お互いさま、お参りされない者同士で墓所を相互扶助しようというものだ。
一方、地域の崩壊が進み、地域の葬祭の中心にあった寺が厳しい経営環境に追い込まれている。お参りされないことを前提にした、永代供養は、いま寺を支える大きな収入源になっている。地域から人が減少し、寺との結びつきがなくなって、かつてのような檀家が継承できなくなっているのだ。
そうした試みは大事だ。しかし、墓所の改革、寺の再生といったことだけで問題が解決するとは思えない。基本は、地域の人と人の結びつきを強める施策や取り組みが必要。
寺を中心にそれをやろうというのは一つの方法で、オレの知り合いのひとり、上田紀行は、この取り組みを数年前からやっている。
だが、やはり、そこの生活する人々の中から、自分たちの身の丈に合った何事かを創意工夫してつくり出していくしかない。
かつてのように、血縁だけに頼った地域ネットワークから、血縁に依存しないネットワークづくりへとシフトを変えていかなければ、それも難しいとオレは思う。
以前、ブログでも紹介したが、アメリカのある地域での取り組みのように、高齢世帯、母子、父子家庭世帯、単身世帯といった様々な世帯が寄合い、相互補完する中で、互いの生活を支え、地域を形成するというような、無縁のつながりを前提として、新たな人のつながりを創造する…というような取り組みがこの国には必要になってきている。
樹木葬は死後、どう他者と結びつくかを動機としているが、いま生きている中で、どう他者と結びつけるかを、これまでとは全く違う視点で洗い直し、家庭、地域、社会、国、多国間の中で、何ができるかを考えるときが来ている。
死して、人とつながる前に、生きて、人の温もりを感じられる取り組みがあれば、その温もりが、死した後、その人の死をきっと温かなものが包み続ける…。