オレの村を見にきてくれ
先週、徳島のシンポのとき、主催団体の理事長さんと話をした。面識はあったが、名刺交換程度で、いままでじっくりお話をする時間がなかった。
打ち合わせを終わって、阿波鶏(あわおどり)の焼き鳥店で飲みながら、今回のシンポテーマから話は広がり、いまの日本の閉塞感やそれを生んでいる問題について、あれこれ話をした。
以前から交流のある同席していた、I先生やH先生は、いつもの日本近代論と日本的共同体論のオレの話にそう驚くことはなかったのだが、理事長さんと常務理事のお二人は、初めてということもあって、興味津々。
すると、理事長さん、その話が気に入ったらしい。その表情がさっと変わったのはオレのこの言葉だった。
「戦後の復興期から高度成長期を必死に生きて、65年が過ぎたいま、日本の豊かさを築き、いまという時代をつくった高齢者が、孤独死や限界集落の中で、見捨てられるように亡くなっている。それにだれも見向きもしない世の中というのはおかしいんじゃないのか。だれにも自分の存在を認められず、だれにも看取られず、死ぬ…それほどの無念はあるだろうか…」
その場で解散かと思っていたら、「カントク。もう一軒、付き合て」と誘われた。徳島には20回は仕事できているが、初めてつれていかれた店。これが、ビルのテナント店ながら、格調のあるバーを併設した料亭。失礼ながら、徳島にこういうところがあったかと、ちょっと感動。
オレひとりだけになったところで、理事長さん、「カントク。オレの村を見にきてくれ。そのときは二日がかりで…」。
話を聞けば、そこは限界集落。もうあと10年以上もすれば、世帯がなくなる高齢者だけの村。
学生時代は名古屋で過ごし、県の職員として地元に戻り、長く人権関連の部署にいた人らしい。その後、県が支援するNPOの理事長に。
Uターンしてから、ずっとその村で農業もやっている。握手するその手は農民のごつい手だった。「カントクの手は、やくざの手や」といわれて、ほめているのか、けなしているかと笑う。
これまでどこで姿をみかけても、いつも腰が低く、言葉も少なく、熱い思いのある人とは思っていなかった。ぶっちゃけで話すオレの話につられて語る、若い頃の武勇伝を聴いて、なるほどと合点がいった。
人権という世界を支えているのは権利主張の強い団体。そこでは主張の違う団体が激烈に凌ぎを削る場もある。理屈だけではなく、心の腕力がなくては、何事かを実現していくのは難しい。
どの世界でも、平身低頭しながら、気骨と腕力のある奴ほど、強いし、こわい。そんな63歳になるおやじが、オレの近代論、共同体論、戦後65年で失った日本的なるものの話に感動し、仮面を脱いだ(笑)。
究極の選択とは、人が生きる上で常に直面する圧倒的な現実。理不尽さと不条理にあふれた現実と言い換えていい。不条理をどう生きるか。そこには、そもそも人が生きる世界は不条理に満ちているという前提がある。
「カントク。オレの村を見にきてくれ」。そういった理事長さんの思いはわかっている。圧倒的な現実を、人権というこの世の不条理を心の腕力で生き抜いてきた男の熱い思いだ。「その目で確かめて、オレたちが生きてきたものを見据えた作品をつくってくれ」。そう言われた気がしている。
オレのおやじは今年9月で88歳になる。その人生は幸せなものだったと思いたい。だが、本当に幸せなものだったのか…。